こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

野島博之著『三行で完全にわかる日本史』(集英社)

f:id:kodairaponta:20180215202147j:plain

野島博之著『三行で完全にわかる日本史』(集英社

「これさえ読めば日本史のアウトラインはわかる。暗記前にこの一冊を仕上げておけば・・・」という初学者用の本は多い。ところが「あれもこれも」と盛り込みすぎるのか、肝心のアウトラインがぼやけている本も多い。

ところが、この本は輪郭がくっきりしている。三行解説のあとの「もう少しだけ詳しく」という解説の内容も、もともと日本史に興味がある人に楽しめるようになっている。わかりやすいが、レベルが低いわけではない。

ところで、三行ってなんだ?と思われるかもしれないが、本当に三行なのだ。
たとえば、「ワシントン会議」の項。三行解説はこうだ。


ワシントン会議

第一次大戦が超悲惨で世界は「戦争ヤダ!」的空気。
でも日本は大儲けしたので周りの国と温度差が。
日本は軍縮会議に出て協調はしたけど、不満顔・・・。(P163)


ワシントン会議第一次世界大戦後、アメリカ大統領ハーディングの提唱で行われた軍縮会議だ。 900万人も死者を出した世界大戦だが、主戦場はヨーロッパにすぎず、日本が総力戦で戦ったわけではない。むしろ日本は、他国が殴り合っている隙に中国に進出したり、ヨーロッパへの輸出が増えたりでおいしい思いをしている。世界と日本に軍縮に対する温度差があったことは、この時代を知るうえでかなり重要だ。こうした「時代を知るうえでのキモ」がピンポイントでわかるようになっている。


「戦争に勝ったら儲かるんだもん」と完全にギャンブル中毒者みたいになっている日本と「戦争という名のギャンブルは勘弁」と思っている世界との対比の仕方が笑える。苦手な人が多いであろう明治・大正・昭和史も、すんなり頭に入ってくるから不思議だ。
ほかにも「関ケ原の戦い」は豊臣vs徳川の戦いではなく、豊臣家内の政権抗争だったとか、「第二次世界大戦」で日本はアメリカに負けたのではなく中国に負けたのだとか、目からうろこの知識が多い。なんといっても、読み物として面白いのがいい。

 

ところで、三行になにかをまとめるのは要約力がいる。

「三行で完全にわかる『赤と黒』」(素晴らしい小説だが、さて、まとめられるか?)

「三行で完全にわかる『ゾンビ』」(名画を三行で!ホラーならいけるか?)

「三行で完全にわかる『平昌オリンピック』」(書き手のセンスが問われそうだ)

こんな練習をしていると、文章力と要約力が同時に上がるかもしれない。試してみよう。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

見ておいて損はない名作映画100選の5作目。映画:子猫をお願い

「見ておいて損はない名作映画100選」の5作目は韓国映画だ。

 いい映画とは「見る人によってさまざまな解釈が成り立つこと」「見るたびにさまざまな発見があること」だと思う。この映画はまさにそういう映画だ。商業高校で仲良しだった5人組の女子高生たちが、卒業後それぞれの道を歩いていく。しかし順風満帆な社会人生活を送っている人間は誰もいない。淋しくなって連絡を取り合い、酒を飲んでバカ騒ぎをするものの、なにかしっくりこない。無邪気にじゃれあっていた高校時代とは違う。そこがなんとも切ない。

 

5作目。

f:id:kodairaponta:20180206213908j:plain

子猫をお願い
(2001/韓国)
監督:チョン・ジェウン
出演:ペ・ドゥナ/イ・ヨウォン/オク・ジオン

ざっくりとした登場人物紹介

*5人の登場人物を紹介する。
ヒジュ:5人の中で就職に成功したのは彼女だけだ。しかし、親のコネで大企業に入ったものの、仕事はお茶くみやコピー取りなどの雑用係だ。彼女の上昇志向はかなり激しいが、それも猛烈なコンプレックスの裏返しであり、「価値のない人間」だと思われることを何よりも恐れている。(最後、彼女自身が同僚に白状するシーンがある。)


ジヨン:経済状況が一番厳しいのがジヨンだ。今にも天井が崩れ落ちそうなボロボロの家で、祖父母と暮らしている。両親は他界。前の会社では給料未払いのままリストラされ、就職の面接では両親がいないことを理由に断られ(「保証人は両親じゃないと」と言われている)、結局仁川空港の食堂で働いている。本当はテキスタイルデザインの勉強をするため留学したいのだが、経済状況が許さない。

 

テヒ:高校卒業後、父親の経営するサウナの手伝いをしている。給料は一銭ももらっていない。父親は「男はエラいのだ!」といった旧態依然とした態度を取る人間であり、「男」である弟の方しか向いてしゃべらない。そんな態度が伝染したのか、弟もだんだんテヒに対して尊大な態度を取るようになる。テヒはそんな家の中で息苦しさを感じ、「ここではないどこかへ行きたい」という気持ちをいつも抱いている。

 

ピリュとオンジュ:ふたりは中国系韓国人の双子だ。手作りのアクセサリーを露店で売って日銭を稼ぐ日々を送っている。中国に母親が住んでいるようだが、祖父とは絶縁状態らしく、実の孫であるふたりすら「わしには娘などおらん(だから孫もいるはずがない)」と、家の中に入れようとはしない。いったい何があったのか、映画の中からは読み取れない。ふたりでタッグを組んで生きているので、5人の中では一番安定感があるように見える。

 

ざっくりとした内容

*なんといっても、ヒジュとジヨンの関係に注目だ。オープニングでは肩を組んで登場するほど、ひときわ仲の良かったふたり。卒業後、このふたりの関係はさまざまなことが重なってギクシャクしてしまう。このふたりの関係こそ、この映画のキモとなっている。

*狭い路地を通り抜けた先に、ボロボロの家が立ち並んでいる地域がある。ジヨンはここに住んでいる。今にも天井が抜けそうで危ないので、何度も大家に掛け合うが相手にしてもらえない。ある日、ついに家が倒壊してしまい、押しつぶされて祖父母は亡くなってしまう。ショックのせいか、何を尋ねられても口をきこうとしないジヨン。そんな彼女は捜査に非協力的で反抗的だとされ、「分類審査院」(少年鑑別所のようなところ)に送られてしまう。

*ジヨンに面会を求めたテヒ。「ここを出ても行くところがない」というジヨンのことばに彼女はハッと目を見開く。どこにも居場所がないのはテヒも同じなのだ。数日後。分類審査院を出たジヨンを待っていたのは、家出したばかりのテヒの姿だった。「あんたとならうまくやれると思って」。

ラストシーン。飛行場の電光掲示板を見つめた後、出発ゲートに向かって踵をかえす二人の姿で幕は閉じる。

 

かんたんレビュー

 「ざっくりとした内容」のところにも書いたが、この映画の一番のキモはヒジュとジヨンの人間関係だ。ひときわ仲のよかったふたりが、どんどんすれ違っていく。なぜ、すれ違いが生じてしまったのだろう。

ジヨンはテキスタイルデザインを独学で学び、けっこういい作品を作っている。彼女は子猫をヒジュの誕生日に贈るが、本当は子猫を入れた箱の方に注目してほしかったはずだ。美しいテキスタイルの施された箱。相当の手間ひまがかかっただろう。だがヒジュはその価値に気づかない。「すごいね、これ」と箱の価値を認めたのはテヒだけだ。

ジヨンはかなり厳しい経済状況の中で生きている。給料未払いのままリストラされてしまい、新しい就職口もなかなか見つからない。「テキスタイルの勉強をするために留学したい」と言うジヨンに「そのためにはおカネ貯めなくちゃ。仕事紹介しようか?」と軽く返すヒジュ。悪意はない。しかしその言葉をジヨンは、上から目線の無神経な言葉だと捕らえてしまう。

しかし、仕事は欲しい。後日、ジヨンはいきなり会社にいるヒジュに「近くまで来た」と電話する。喫茶店でヒジュを待つジヨン。しかしヒジュも忙しい。一時間後、ヒジュはやっと喫茶店に行くのだが、そこにジヨンの姿はなかった。急いでジヨンの携帯に電話するヒジュ。待ちくたびれて、ジヨンはへそを曲げていた。「いきなり来るなんて何かあったの?」とヒジュはいぶかしむが、「別に。仕事頑張ってね」とそっけなく返すジヨン。彼女は仕事がほしい、と正直に言うことができない。一方、ヒジュはジヨンの切羽詰まった状況に気づかない。この「事件」がふたりの溝を決定的なものにする。

 

このふたりにはどちらも心の余裕がない。自分のことで手一杯で相手のことなんか考えていられないのだ。おカネがなくて生活に困っているジヨンの状況は比較的わかりやすい。しかし映画の観客には「神の目線」が与えられているので、ヒジュの置かれている状況も読み解くことができる。

ヒジュの両親は離婚協議中であり(映画の途中で離婚が成立するが)、映画の冒頭のところですさまじい夫婦喧嘩が行われていることを暗示している場面がある。家庭に居場所はなく、ジヨンにもらった子猫を飼う余裕などない。仁川からソウルに引っ越ししたのは、単なる上昇志向からだけではないだろう。

それでは職場ではどうか。彼女は親のコネで大企業に勤めたものの、コピー取りやお茶くみなどの雑用係であり、便利屋としていいように使われているにすぎない。しかし、自分を「価値のない人間」だとは認めたくないので、彼氏にも友達にも偉ぶった態度を見せたがる。その上昇志向が実はコンプレックスからきているのだと、自分自身でわかっているところがつらい。ヒジュは家庭でも職場でもいっぱいいっぱいなのだ。そんな状態で、他人のことはまず考えられないだろう。

 

余裕のないヒジュにジヨンの気持ちはわからない。生活することに必死になっているジヨンにもヒジュの気持ちはわからない。このふたりの人間関係を読み取っていくと、この映画の良さがわかる。

「分類審査院」に送られてしまったジヨンを心配して、テヒは会いに行こうとヒジュを誘う。ヒジュは会いに行こうとしない。ジヨンとは遠く隔たってしまったし、今さらかけることばもないからだろう。だが、ヒジュのデスクには高校時代の5人の写真がピンでとめられている。彼女にとって、まぎれもなく光の当たる場所とはここにしかなかったのだ。ヒジュが指先で写真をそっとなでるシーンは印象的だ。

 

ところで、この映画では日本と韓国のちょっとした違いにも驚かされた。その辺のことは『こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記』にまとめたので、合わせてのぞいていただければと思う。

  

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

世界近代文学50選の2作目。(2/2)デフォー著『ロビンソン・クルーソー』<下>(平井正穂著/岩波文庫)

世界近代文学50選の2作目。ほとんど読まれていないといわれている『ロビンソン・クルーソー』の下巻である。

f:id:kodairaponta:20180205222214j:plain

デフォー著『ロビンソン・クルーソー』<下>(平井正穂著/岩波文庫

ざっくりとした内容

*妻の死をきっかけに、ロビンソン・クルーソーは再び旅に出る。なんと、御年61歳だ。甥が船長を務める貿易船に乗せてもらい、まず向かったのは、かつて35年間住んでいた無人島。今では漂流民のスペイン人とイギリス人が住んでいる。彼らの数も増え、60~70人にもなっていた!

クルーソー一行は喜望峰を経てマダガスカル島に寄港する。ここで大事件発生。船員のひとりが現地の娘を森に連れ込んでレイプしたため、島民たちはこの男をさらって処刑してしまう。ところが今度は他の船員たちが報復に出て、島民たちを大虐殺してしまうのだ。ロビンソン・クルーソーは彼らの行動をなじるが、船員たちは憤慨する。そして、ロビンソン・クルーソーペルシャ湾(アラビア側か?)で船から無理やり降ろされてしまうのだった。クルーソーは単独でロンドンに向かうことになる。

ロビンソン・クルーソーは共同経営者を見つけ、一緒に船を買う。そして、東南アジア貿易で大儲けするのだ!さんざん儲けた後、シナで船を手放すことにし、そこからはほぼ陸路でロンドンに向かう。旅の途中でも抜け目なく商品を買ったり売りさばいたりして、さらに大金持ちに。商売で大成功したロビンソン・クルーソーは、イギリスに帰り着いたとき、すでに72歳になっていた。ここでクルーソーの大冒険は幕を閉じるのである。

 

かんたんレビュー

世界的に有名なロビンソン・クルーソー無人島生活は、『ロビンソン・クルーソー』上巻に書かれている物語だ。無人島から生還したロビンソン・クルーソーが妻の死をきっかけに新たな旅にでる続編はほとんど読まれていないらしい。

それでは続編はどのような話か?一言でいうと、「ショッキングな事件や記述が多い」いうことに尽きる。

 

舞台は17世紀だ。この頃のイギリス人が、我々日本人を含めた「未開の地に住む蛮人」をどのように見ていたかわかる。異教を信じ、偶像を拝む野蛮な人間たちという軽蔑のまなざしだ。一番驚いたのは、ロビンソン・クルーソーがある韃靼人の村で「チャム・チ・サラング」という名の人形が神様として信仰されていることに激昂し、村人たちを縛り上げ、彼らの目の前で人形に火をつけるという蛮行に及ぶシーンだ。偶像崇拝キリスト教徒にとって、もっとも野蛮な行為だ。だから「ここの村を始末すべきだ」という短絡的な結論に至る。いったいこれは何なのか?

村人たちはクルーソーに害を及ぼしたわけではない。ただ彼らの神様を拝んでいただけなのだ。野蛮なのはどちらか。クルーソーにいわせれば、ベトナムあたりの民族は魚や油などの粗末な物質を取引するだけの未開で野蛮な連中だし、中国は賢明な学者ですら天体の運行について何一つ知らない(本当だろうか?)。万里の長城もたいしたことない。

台湾だけは、公正で厳正な人々の住む素晴らしい場所として描かれている。それもそのはず、台湾は1624年から38年間にわたって、オランダに征服されていたからだ。「オランダの宣教師がいい教育をしているからだろう」とクルーソーは納得する。キリスト教徒でなければ人間にあらず、なのだ。

孤高の無人島生活を経て、ロビンソン・クルーソーは神と出会っている。(クルーソー清教徒、つまりプロテスタントだ。)何もない無人島で、神と真剣に向かい合ったという体験がもたらした感動は実によくわかる。だが、キリスト教を「唯一の正義」として他の民族に押し付けてはいけない。キリスト教はそんな偏狭な宗教ではないはずだ。クルーソーよ、お前の気持ちの狭さを知ったらキリストが泣くぞ。

 

マダガスカル島での大虐殺事件も血なまぐさい。クルーソーの船に乗っていた船員のひとりが島の娘をレイプする。もちろん島では大騒ぎとなり、レイプ犯は島民たちによって連れ去られ、咽喉を切って殺されてしまう。木から無残に吊るされている仲間を見つけた他の船員たちは、怒りにかられ、島民を一人残らず殺戮することを誓うのである。彼らはまず、村に火を放つ。どの家も軽くて燃えやすく、あっという間に火は燃え広がる。

それに、火事に引きつづき土人を確実に殺戮するという仕事が控えていた。火事のために、燃えさかる家から必死になって逃げだしてくる者や、燃えていなくても家から驚愕の余り飛び出してくる者があると、間髪をいれず、その戸口に待ち構えていた味方の者はその頭を殴りつけた。その間、たえず互に、「トム・ジェフリを忘れるな」という合言葉を大声で呼び交わした。(下巻・P324)

 トム・ジェフリというのは、レイプ犯の男の名前である。クルーソー以外の船員たちはトム・ジェフリを探すだけでなく、村から略奪することを目的に島に再上陸している。これと似たような事件は実際にあったのではないだろうか。江戸幕府が禁教令を敷いた理由のひとつはスペインやポルトガルの侵略を恐れたからだというが、『ロビンソン・クルーソー』を読んだ後では、この政策は正しかったのではないかと思ってしまう。

この本では興味深いところもたくさんあったが、なにか割り切れない複雑な思いが残った。おそらく自分が「蛮人」の側だからだろう。 

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

見ておいて損はない名作映画100選の4作目。映画:藍色夏恋

見ておいて損はない名作映画100選の4作目は台湾映画だ。派手さはないが、じわじわと静かな感動が迫ってくる作品だ。

 

4作目。

f:id:kodairaponta:20180130182158j:plain

藍色夏恋
(2002/台湾・フランス)
藍色大門 BLUE GATE CROSSING
監督:イー・ツーイェン
出演:チェン・ボーリングイ・ルンメイ/リャン・シューホイ

 

ざっくりとした内容

*主人公は17歳の女子高生、モン・クーロウ。彼女は親友のリン・ユエチャンから恋の相談を受ける。相手は水泳部のチャン・シーハオだ。モン・クーロウはユエチャンのために「付き合っている子いる?」とチャン・シーハオに話しかけたり、ラブレターを渡したりして骨を折る。そうこうしているうちに、チャン・シーハオはユエチャンではなく、モン・クーロウに好意を抱き始めてしまう。「俺たち、付き合わない!?」と、いくら追い払ってもついてくるチャン・シーハオ。やれやれ。一度くらい付き合ってやるか!

*砂浜にデートに行ったモン・クーロウとチャン・シーハオ。ふたりともデートなんか行ったことないから、ぎこちなくて仕方ない。しかし、ふたりの距離は徐々に縮まっていく。一方、ユエチャンは「ねえ、本当にふたりは付き合ってないの?」としつこい。このままでは親友を失ってしまうと感じたモン・クーロウは、「もう、会いにこないで。好きじゃないから」とチャン・シーハオに一方的に告げてしまうのだった。そればかりか、ユエチャンに請われるまま、彼女をチャン・シーハオに紹介する。「付き合ってあげて」。残酷な行動だ。チャン・シーハオは怒る。怒って当然だ!

*傷心のまま、夜の砂浜で海を見つめるモン・クーロウ。そこに、先ほど大喧嘩したチャン・シーハオから携帯に電話がくる。「別に用事はないんだけど・・・そうだ、明日の水泳の試合を見に来てほしい」と。彼の声を聞きながら、モン・クーロウは号泣してしまう。どうしてこんなに優しい人を振り回し、残酷な振る舞いをし、真正面から傷つけてしまったのか?どうしてもっと賢く振舞えないのか?「失恋しちゃった。早く忘れられるといいな」とモン・クーロウは思うのだった。

そして、次の日・・・。

 

かんたんレビュー

 17歳は自分のことで手一杯だ。だから自分の感情をいとも簡単に爆発させるし、他人を堂々と傷つけてしまう。相手を平気で困らせたりもする。残酷な振る舞いも平気でする。モン・クーロウは、手も足も自分の思うとおりに動かすことができず、ことばもうまく使えないハリネズミみたいな女の子だ。チャン・シーハオに「付き合おうよ」と無邪気に言われたときも、親友が熱をあげる男の子と付き合ったら面倒だという気持ちが先にたち、「好きじゃない!」と噛みつくような断り方をしている。


彼女は親友のユエチャンを失いたくない。ところがこの親友たるや、「女性が嫌いな女性ランキング」の上位に躍り出そうな自分勝手なヤツなのだ。この親友のわがままにモン・クーロウは散々振り回される。それでもモン・クーロウの高校生活にとって、ユエチャンはかけがえのない居場所となっている。彼女を失うなんて考えられない。

モン・クーロウだって、本当はチャン・シーハオが好きなのだ。でも、「ねえ、ふたりは本当に付き合ってるの?ウワサは本当なの?」とユエチャンにしつこく聞かれたら、「付き合ってない!」と答えるしかない。絶対に彼女だけは失いたくないのだから。モン・クーロウは「私は女の子が好きなの。だからあなたと付き合えない」と、チャン・シーハオに告白もしているが、いやいやその「好き」はちょっと違うだろう、と思わざるを得ない。


ユエチャンみたいな面倒な女とはさっさとさよならして、チャン・シーハオと楽しく付き合えばいいじゃないか。外野からはそう見える。でも、これは大人の目線だ。そういう大人だって、17歳の時はそんな割り切った行動を取れなかったはずだ。他人のことなんか考える余裕もなく、自分の感情のままに振る舞い、時には残酷なことを言ったりやったりして、真正面から他人を傷つける。そして、自分もボロボロに傷ついてしまう。本当はもっと賢く振舞いたいのに。傷つかない方法はあるはずなのに。でも、仕方がないのだ。

「なんであんなこと言っちゃったんだろう」「どうしてあんなことしちゃったのかな」と、17歳を振り返れば後悔することばかりだ。そんなはかない体験を繰り返しながら、みんな大人になっていく。不器用に手足を振り回すだけで、何も手に入れていないかのように思える17歳の夏。

 

でも「ほんとうのこと」は残る。相手が本気になって向き合ってくれたこととか、カッコ悪いけど誠実だったとか優しかったなとか。「ほんとうのこと」はいつまでも残るのだ。

ラストシーン。シャツをはためかせながら自転車を走らせるチャン・シーハオの後ろ姿にモン・クーロウのモノローグが重なるのだが、これには泣ける。なつかしくて切なくて、何ともいえないほろ苦さが残る。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

世界近代文学50選の2作目。(1/2)デフォー著『ロビンソン・クルーソー』<上>(平井正穂著/岩波文庫)

世界近代文学50選」の2作目だ。

f:id:kodairaponta:20180129155822j:plain

デフォー著『ロビンソン・クルーソー』<上>(平井正穂著/岩波文庫

ざっくりとした内容

*時は17世紀。ロビンソン・クルーソーは「世界中を旅したい!」という放浪癖に取りつかれているものの、貿易商人の船に乗り込んでは痛い目にあってばかりいる。しかし、紆余曲折あってブラジルに渡ってから行った農園経営は順調。しかし、クルーソーの放浪癖はおさまらない。「オレって農民に向いてないかも!?」と思い始めるクルーソーであった!

*農園経営の一番の問題点は人手不足だ。「よっし、黒人奴隷を運び込んで、近所の農園経営者と分配しようぜ!!俺がギニアまで行ってくる!!」というわけで、クルーソーと16名の船員たちはブラジルを出発する。しかし暴風雨で船は難破してしまう。奇跡的に生き残ったクルーソーは、どこだか知らない無人島にたどり着く。ここからクルーソーの35年間におよぶ無人島生活が始まる!

*難破した船から武器・弾薬はじめ、大工道具やらペン・インク・聖書にいたるまで、いろいろなものを救い出したクルーソー。これらが無人島生活を支えてくれた。いかだや丸木舟を作ったり、大麦をまいて収穫したり、野生のヤギを捕まえて山羊牧場を作ったり。慣れればこの生活もなかなか快適だ。「オレがこの領土の王様である!」そんなある日、クルーソーは人食い人種どもがこの島に上陸していることを知る。奴らは戦争で捕まえた捕虜をこの島に連れてきて食い散らかし、自分の島に去って行くのである。いったいどうなる、いったいどうなる、ロビンソン・クルーソー!?

 

かんたんレビュー

 『ロビンソン・クルーソー』上巻は、無人島生活を余儀なくされた主人公ロビンソン・クルーソーがさまざまな工夫をこらして生き抜き、人食い人種たちに食われそうになった「蛮人」を助けて従僕とし、最後は故国ロンドンに帰郷するまでの話がおさまっている。絵本や小学生向けにリライトされた本で読まれた方も多いと思うが、原作を読まれた方は意外と少ないのではないだろうか。

クルーソーは生まれ持った放浪癖に取りつかれ、貿易商人の船に乗り込んでは痛い目にあう。初めての航海では暴風雨に見舞われ、その次はトルコの海賊船に拿捕されている。そのときは、奴隷として2年間ばかりこき使われているのだ。主人の元から脱走したクルーソーがたどり着いたのはブラジルだ。そこでクルーソーは農園経営に着手し成功を収める。

だが、農園経営は慢性的な人手不足だ。当時、黒人奴隷はスペインとポルトガルの独占事業だったため、奴隷の値段は非常に高かった。そこでクルーソーは黒人奴隷をこっそり運び込み、農園仲間と分け合うためにギニアまで出かけるのである。クルーソーは黒人奴隷の密貿易の途中で難破しているのだ。なんともエグい。

 

無人島には食人種の集団がたまにやってくる。彼らは戦争で捕虜にした人間(彼らも食人種である)を食べるために無人島にわたり、散々食い散らかして帰っていく。この「食人種」とは、どうもカリブ海のどこかに住むインディオを指しているように思えるのだが、本当に彼らは食人種だったのだろうか?当時の白人が、インディオや黒人をどのように見ていたかうかがい知ることができる一場面だ。

クルーソーは食人種に食われそうになっていた「蛮人」を助け、彼に「フライデー」という名をつけて従僕とする。はじめに教えた英語は「旦那様」だ。おいおい・・・。

 

もちろん、興味深い発見もたくさんある。当時、貿易船は海賊に襲われる危険性があった。だから武器弾薬を積み込み、いざというときは戦わなければならなかった。クルーソーがトルコの海賊に襲われた時、そのときの臨戦態勢の様子が生き生きと描かれていて面白い。

無人島での生活も「そういうものか」と思わされる場面が多い。クルーソーは難破船から犬1匹猫2匹を救い出しているが、人間の友達になれるのは犬だけだ。猫は繁殖力が強く害獣と化してしまい、クルーソーは片っ端から撃ち殺す羽目になる。また、肉と乳を手に入れるために、野生の山羊を捕まえて山羊牧場を作る場面もある。野生動物を従順に飼いならす秘訣は、飢えさせることだそうだ。こういうディテールはかなり興味深い。

 

クルーソーはハイジャックされたイギリス船の船長を助け、ハイジャック犯の船員たちをやっつけ(食人種といい、ハイジャック犯といい、けっこうな数を殺している)、船長に感謝されつつロンドンまで船に乗せてもらう。35年の無人島生活はここに幕を下ろすのである。

この本には下巻もある。ほとんど読まれていないであろう『ロビンソン・クルーソー』の続編だ。下巻は上巻以上に血なまぐさい。次回レビューをあげたい。

(下巻につづく)

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

見ておいて損はない名作映画100選の3作目。映画:イン・ディス・ワールド

この映画はかつて映画館で見たことがある。「いい映画だな」という印象は受けたものの、中身はほとんど忘れてしまっていた。だから今回DVDで見直して驚いた。こんなにもいい映画だったか?当時、私は何を見ていたのだろうか。

アフガン難民がブローカーにカネを払い、パキスタンの難民キャンプからロンドンに亡命しようとする物語。今「この世界で」同じようなことがたくさん起きている。

 

第3作目。マイケル・ウィンターボトムの作品だ。

f:id:kodairaponta:20180123201108j:plain

イン・ディス・ワールド
(2002/イギリス)
IN THIS WORLD
監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:ジャマール・ウディン・トラビ/エナヤトゥーラ・ジュマディン

ざっくりとした内容

アフガニスタン難民の多くが住むパキスタンの難民キャンプ。ふたりの若者が、新天地ロンドンへ亡命を試みる!青年エナヤットの親は、”運び屋”ブローカーにカネを出して、エナヤットをロンドンに亡命させようとする。英語の話せる孤児のジャマールも一緒だ。ジャマールには通訳として同行する。ジャマールとエナヤット、彼らは従兄弟どうしなのだ。

*難民が亡命する手順はこんな感じ。”運び屋”さんが途中まで運んでくれる。→”運び屋”さんが手渡してくれた電話番号に電話する。→別の”運び屋”さんが登場する。そして、どこだかわけのわからないところに運んでくれる。→その人が手渡してくれた電話番号に電話する。次の”運び屋”さん登場→以下、くりかえし。”運び屋”さんとはことばが通じないから、いつ、どこに連れていかれるのか、わからない。泊まるところも”運び屋”さん次第だ。しかも何日待たされるかわからない。いつだって、不安いっぱいだ!

*難民が亡命するのは危険で過酷だ。トラックの荷台の狭いスペースに押し込まれたり、コンテナのなかに閉じ込められて船で運ばれたり、雪が降りしきる真っ暗な山道を歩いて越えたり、どう考えったって普通の人間がやることじゃない。どうなる、ジャマールとエナヤット!?

 

かんたんレビュー

この映画は、多くの難民から取材した実話をつなぎ合わせたドキュメンタリータッチの「フィクション」だ。ずっと主人公ジャマールの目線で描かれているために、自分が難民として亡命への旅をしているかのような気分を味わえる。難民キャンプの状況は絶望的だ。なにせ、レンガ職人として働く14歳のジャマールの日給は1ドルにも満たないのだから。二度と親兄弟や親戚と会えないかもしれない。自分が生まれ育ったコミュニティーとも一生切り離されたままかもしれない。それでも異国を目指す覚悟は凄まじいものがある。

 

パキスタンのペシャワル。バスの車窓から見つめる風景はうるさくて雑然としている。クラクションが鳴り響き、所狭しと多くの人々が路上に店を広げている生き生きとした雰囲気は、まさに「アジア」そのものだ。そんな町の風景がどんどん荒野そのものとなっていき、気温も下がっていき、ついには彼らが話していたことばも通じなくなる。到着した町では、手渡された電話番号に電話をかけ次の”運び屋”を待つのだが、その”運び屋”にどこに連れていかれるか全くわからない。だから、いつだって不安だ。次の”運び屋”が現れるまで、安ホテルで何日も足止めを食らうこともある。イスタンブールで”運び屋”を待ちながら、ジャマールたちが現地の金物工場で働いているシーンがあったが、彼らは旅の途中でこんなこともしているのかと驚く。これが「現実」なのだ。

 

移動手段も過酷だ。トラックの荷台に積み上げられた荷物のわずかな隙間に体育座りしてまる一日以上移動とか、険しい雪山を深夜に徒歩で越えて国境越えとか、コンテナの中に40時間以上も閉じ込められて船で移動とか、「水は?睡眠は?トイレは?風呂は?」と人間としてあり得ないとんでもない状況が続く。いつ命を落としたっておかしくない。

 

しかし、彼らは悲惨な思い「だけ」しているのかといえばそうではない。例えば、イランとトルコの国境付近で、ジャマールとエナヤットに深い同情を寄せ、温かい食事と寝床を貸してくれる女性たちがいる。彼女たちはふたりの若者の行く末を心配し、旅先の幸運を祈ってくれる。また、フランスのサンガット難民キャンプで声をかけてくれた青年も助けてくれる。ロンドンのレストランで働いていたものの、いきなり強制退去を食らったらしい彼は笑顔で言ってくれるのだ。「ロンドンに着いたら仕事を紹介するよ」と。

こういったシーンが、この映画の救いだ。いつだって、どこだって、国やことばが違ったって、助けてくれるのはイスラームの同胞たちだ。そこに胸がぎゅっと熱くなる。

 

ちなみに、主演を務めたジャマール(本名も同じ)やエナヤットを演じたエナヤトゥーラは、現実の世界でもパキスタンに住むアフガン難民だった。ジャマールはイギリスに難民申請を出したが却下され、18歳になったら国外退去しなければならない。(今、彼はどこにいるのだろう?)エナヤトゥーラは出演料でトラックを買い、家の仕事をしているのだという。

映画は彼らの人生をも変えた。これも「この世界で」起こっていることの一部だ。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

見ておいて損はない名作映画100選の2作目。映画:マイ・ネーム・イズ・ジョー

「見ておいて損はない名作映画100選」の2作目。せっかく選んでもらったのだが、TSUTAYAでレンタルDVDを扱っていないため、見ることができていない。とりあえず宿題ということで、作品名だけあげておく。

 

2作目。ケン・ローチの作品だ。

f:id:kodairaponta:20180121144657j:plain

 マイ・ネーム・イズ・ジョー
(1998/イギリス)
MY NAME IS JOE
監督:ケン・ローチ
出演:ピーター・ミュラン/ルイーズ・グッドール

 代表作「ケス」や、パルムドール賞を受賞した「わたしは、ダニエル・ブレイク」に勝ると、夫には太鼓判を押された。縁があって見ることができたら、レビューをあげたい。どんな映画もレンタルショップで見られると思っていたら大間違いだ。反省。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村