こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

見ておいて損はない名作映画100選の5作目。映画:子猫をお願い

「見ておいて損はない名作映画100選」の5作目は韓国映画だ。

 いい映画とは「見る人によってさまざまな解釈が成り立つこと」「見るたびにさまざまな発見があること」だと思う。この映画はまさにそういう映画だ。商業高校で仲良しだった5人組の女子高生たちが、卒業後それぞれの道を歩いていく。しかし順風満帆な社会人生活を送っている人間は誰もいない。淋しくなって連絡を取り合い、酒を飲んでバカ騒ぎをするものの、なにかしっくりこない。無邪気にじゃれあっていた高校時代とは違う。そこがなんとも切ない。

 

5作目。

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子猫をお願い
(2001/韓国)
監督:チョン・ジェウン
出演:ペ・ドゥナ/イ・ヨウォン/オク・ジオン

ざっくりとした登場人物紹介

*5人の登場人物を紹介する。
ヒジュ:5人の中で就職に成功したのは彼女だけだ。しかし、親のコネで大企業に入ったものの、仕事はお茶くみやコピー取りなどの雑用係だ。彼女の上昇志向はかなり激しいが、それも猛烈なコンプレックスの裏返しであり、「価値のない人間」だと思われることを何よりも恐れている。(最後、彼女自身が同僚に白状するシーンがある。)


ジヨン:経済状況が一番厳しいのがジヨンだ。今にも天井が崩れ落ちそうなボロボロの家で、祖父母と暮らしている。両親は他界。前の会社では給料未払いのままリストラされ、就職の面接では両親がいないことを理由に断られ(「保証人は両親じゃないと」と言われている)、結局仁川空港の食堂で働いている。本当はテキスタイルデザインの勉強をするため留学したいのだが、経済状況が許さない。

 

テヒ:高校卒業後、父親の経営するサウナの手伝いをしている。給料は一銭ももらっていない。父親は「男はエラいのだ!」といった旧態依然とした態度を取る人間であり、「男」である弟の方しか向いてしゃべらない。そんな態度が伝染したのか、弟もだんだんテヒに対して尊大な態度を取るようになる。テヒはそんな家の中で息苦しさを感じ、「ここではないどこかへ行きたい」という気持ちをいつも抱いている。

 

ピリュとオンジュ:ふたりは中国系韓国人の双子だ。手作りのアクセサリーを露店で売って日銭を稼ぐ日々を送っている。中国に母親が住んでいるようだが、祖父とは絶縁状態らしく、実の孫であるふたりすら「わしには娘などおらん(だから孫もいるはずがない)」と、家の中に入れようとはしない。いったい何があったのか、映画の中からは読み取れない。ふたりでタッグを組んで生きているので、5人の中では一番安定感があるように見える。

 

ざっくりとした内容

*なんといっても、ヒジュとジヨンの関係に注目だ。オープニングでは肩を組んで登場するほど、ひときわ仲の良かったふたり。卒業後、このふたりの関係はさまざまなことが重なってギクシャクしてしまう。このふたりの関係こそ、この映画のキモとなっている。

*狭い路地を通り抜けた先に、ボロボロの家が立ち並んでいる地域がある。ジヨンはここに住んでいる。今にも天井が抜けそうで危ないので、何度も大家に掛け合うが相手にしてもらえない。ある日、ついに家が倒壊してしまい、押しつぶされて祖父母は亡くなってしまう。ショックのせいか、何を尋ねられても口をきこうとしないジヨン。そんな彼女は捜査に非協力的で反抗的だとされ、「分類審査院」(少年鑑別所のようなところ)に送られてしまう。

*ジヨンに面会を求めたテヒ。「ここを出ても行くところがない」というジヨンのことばに彼女はハッと目を見開く。どこにも居場所がないのはテヒも同じなのだ。数日後。分類審査院を出たジヨンを待っていたのは、家出したばかりのテヒの姿だった。「あんたとならうまくやれると思って」。

ラストシーン。飛行場の電光掲示板を見つめた後、出発ゲートに向かって踵をかえす二人の姿で幕は閉じる。

 

かんたんレビュー

 「ざっくりとした内容」のところにも書いたが、この映画の一番のキモはヒジュとジヨンの人間関係だ。ひときわ仲のよかったふたりが、どんどんすれ違っていく。なぜ、すれ違いが生じてしまったのだろう。

ジヨンはテキスタイルデザインを独学で学び、けっこういい作品を作っている。彼女は子猫をヒジュの誕生日に贈るが、本当は子猫を入れた箱の方に注目してほしかったはずだ。美しいテキスタイルの施された箱。相当の手間ひまがかかっただろう。だがヒジュはその価値に気づかない。「すごいね、これ」と箱の価値を認めたのはテヒだけだ。

ジヨンはかなり厳しい経済状況の中で生きている。給料未払いのままリストラされてしまい、新しい就職口もなかなか見つからない。「テキスタイルの勉強をするために留学したい」と言うジヨンに「そのためにはおカネ貯めなくちゃ。仕事紹介しようか?」と軽く返すヒジュ。悪意はない。しかしその言葉をジヨンは、上から目線の無神経な言葉だと捕らえてしまう。

しかし、仕事は欲しい。後日、ジヨンはいきなり会社にいるヒジュに「近くまで来た」と電話する。喫茶店でヒジュを待つジヨン。しかしヒジュも忙しい。一時間後、ヒジュはやっと喫茶店に行くのだが、そこにジヨンの姿はなかった。急いでジヨンの携帯に電話するヒジュ。待ちくたびれて、ジヨンはへそを曲げていた。「いきなり来るなんて何かあったの?」とヒジュはいぶかしむが、「別に。仕事頑張ってね」とそっけなく返すジヨン。彼女は仕事がほしい、と正直に言うことができない。一方、ヒジュはジヨンの切羽詰まった状況に気づかない。この「事件」がふたりの溝を決定的なものにする。

 

このふたりにはどちらも心の余裕がない。自分のことで手一杯で相手のことなんか考えていられないのだ。おカネがなくて生活に困っているジヨンの状況は比較的わかりやすい。しかし映画の観客には「神の目線」が与えられているので、ヒジュの置かれている状況も読み解くことができる。

ヒジュの両親は離婚協議中であり(映画の途中で離婚が成立するが)、映画の冒頭のところですさまじい夫婦喧嘩が行われていることを暗示している場面がある。家庭に居場所はなく、ジヨンにもらった子猫を飼う余裕などない。仁川からソウルに引っ越ししたのは、単なる上昇志向からだけではないだろう。

それでは職場ではどうか。彼女は親のコネで大企業に勤めたものの、コピー取りやお茶くみなどの雑用係であり、便利屋としていいように使われているにすぎない。しかし、自分を「価値のない人間」だとは認めたくないので、彼氏にも友達にも偉ぶった態度を見せたがる。その上昇志向が実はコンプレックスからきているのだと、自分自身でわかっているところがつらい。ヒジュは家庭でも職場でもいっぱいいっぱいなのだ。そんな状態で、他人のことはまず考えられないだろう。

 

余裕のないヒジュにジヨンの気持ちはわからない。生活することに必死になっているジヨンにもヒジュの気持ちはわからない。このふたりの人間関係を読み取っていくと、この映画の良さがわかる。

「分類審査院」に送られてしまったジヨンを心配して、テヒは会いに行こうとヒジュを誘う。ヒジュは会いに行こうとしない。ジヨンとは遠く隔たってしまったし、今さらかけることばもないからだろう。だが、ヒジュのデスクには高校時代の5人の写真がピンでとめられている。彼女にとって、まぎれもなく光の当たる場所とはここにしかなかったのだ。ヒジュが指先で写真をそっとなでるシーンは印象的だ。

 

ところで、この映画では日本と韓国のちょっとした違いにも驚かされた。その辺のことは『こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記』にまとめたので、合わせてのぞいていただければと思う。

  

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