こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

見ておいて損はない名作映画100選の6作目。映画:流れる

「見ておいて損はない名作映画100選」の6作目は日本映画から。

 

邦画というとどうしても黒澤明小津安二郎の名が挙げられるが、名画100選の選者(夫のこと)が「日本映画を代表する名監督といえば、黒澤でもなく小津でもなく、まぎれもなく成瀬巳喜男である」と力説するので、お勧めに従って見ることにした。

私はもともと、この映画の原作である幸田文著『流れる』を読んでいた。しかし、原作よりも映画の方が私ははるかに好きだ。今回のレビューは、原作と映画の違いに焦点を当てながら進めたい。

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流れる
(1956/日本)
監督:成瀬巳喜男
出演:田中絹代山田五十鈴高峰秀子杉村春子岡田茉莉子

 

ざっくりとした内容

*舞台は没落しかかった柳橋芸者置屋「つたの家」だ。未亡人の梨花は、ここに女中として住み込むことになった。置屋の住人は、女主人のおつた。おつたの娘の勝代。おつたの妹の米子、米子の娘の不二子の4人だ。染香となな子のふたりは、近くのアパートから通いでやってくる芸者だ。ある日、勝代と反りが合わない芸者のなみ江が突然行方不明になってしまった。なみ江よ、どこへ行った?

*事件は千葉県鋸山から、いかついオヤジが怒鳴り込んできたことから始まった。なみ江の叔父だと名乗るこのオヤジは、少年保護法だか売春法違反で「つたの家」を脅しあげ、金を出させようという魂胆だ。「なみ江をこき使いやがって、カネ払え!」この騒ぎはついに警察沙汰となる。いったいどうなる!?

*「つたの家」を取り巻く妖怪おばさんたちのキャラも濃い。おつたの姉のおとよは金貸しで、おつたや染香にめちゃくちゃお金を貸している。料亭「水野」の女将は、おつたが信頼している姉御だ。もともと借金で首がまわらないうえに、鋸山事件で金策に困り切ったおつたは、「水野」の女将に「つたの家」を買ってもらおうとするが・・・。

 

かんたんレビュー

映画では幸田文の小説『流れる』の台詞をそのまま使っている場面が多いので、原作に忠実に作られているかのように見える。だが、この映画は小説とは全く違った作品だ。原作の梨花は教養豊かで気性が強い。彼女の視点から芸者置屋の様子が語られるのだが、女主人や置屋に出入りする芸者たちに対する人物批評が容赦なさすぎて、「いやいや、そこまで言わなくても」と、読んでいるこちらまでもが打ちのめされてしまいそうになる。

ところが、映画の梨花田中絹代)は原作とは全く違う人物像だ。女中という職業を真正面から受け入れ、たおやかな所作で家事のひとつひとつをていねいに、そして優雅にこなしてしまう根っからの職業人なのだ。くろうとの世界にしろうとが入りこんだことでとまどいはするけれど、すべてをふんわりと受け入れてしまう潔さがある。「よろしくお願いいたします」という田中絹代のお辞儀にはほれぼれとしてしまう。こんな美しいお辞儀は見たことがない。佇まいだけで観客を魅了するところはさすがだ。

 

かっこいいといえば、女主人のおつた(山田五十鈴)もかっこいい。芸者置屋の「つたの家」は没落の一途をたどっている。近所のお店も「支払いがたまってますから・・・」と商品を売るのをためらうほど、生活に困っている。それなのに、おつたにはぎすぎすしたところがない。無駄に強がっているところもなく、どこか毅然としているのだ。

鋸山のオヤジが怒鳴り込んできたときも、オヤジ相手にまるでお座敷をつとめあげているような振る舞いをする。鋸山は「なみ江をこき使いやがって!少年保護法違反だ、カネ払え!」と大声で脅しあげるクレーマーだ。そんな困った人相手でも、まあまあとなだめながら話を聞き、お酒やお寿司を勧め、宿まで用意してやる。落ちぶれていてもプロの芸者なのだ。

「水野」の女将の口利きで、おつたがかつての旦那(パトロン)をお座敷で待つシーンも印象深い。旦那との再会が嬉しくて、おつたが鼻歌を歌いながらお風呂に入ったり、目の覚めるような美しい着物を着て浮き浮きしているシーンは可愛くて仕方がない。結局は旦那はお座敷に来ることはなかった。その時の落胆ぶりも切ない。

ちなみに、原作にこの場面はない。だが、このエピソードを挿入したことで、おつたという人物の厚みが増している。小説ではおつたの「弱さ」ばかりが強調され、可愛らしさを持つ人間として描かれることはなかった。おつたという芸者をここまで魅力ある人物に作り上げた監督と脚本家の腕には舌を巻く。

 

おつたの娘、勝代(高峰秀子)もいいキャラクターに仕上がっている。彼女は半年ほど芸者としてお披露目したものの、接客業が性に合わずすぐにやめてしまった。しかし金策に困っている母親を放っておくことはできず、職業安定所に行き、手に職をつけようとミシンを踏み始める。母親とふたり、食べていくだけのものは自分で稼ぎたい。かなりのしっかり者である。

一方、小説の勝代はブスで無趣味で無教養でどうしようもない人間に描かれている。「くろうとに生まれたくせにしろうとみたいに育っているんだから、からだは半分々々に色が違ってるといった感じなの」という台詞は、原作そのままだ。だが、小説を読んだときは、この台詞の味わいに全然気が付かなかった。なぜなら原作では、梨花が「勝代みたいなブスがこんなこと言っても心に刺さらない。見たくれって大事だなあ」と身も蓋もないことを言っているからだ。

 

ちなみに、この映画の台詞のほとんどは原作のままである。それなのに、映画と小説が全く違う世界なのはどういうわけだろう。原作の台詞をそのまま使いながら、原作の世界を脱構築して、成瀬監督自身の世界を作り上げている。猫の「ポンコ」も、映画ではいい味を出している。まるまる太ったポンコは一瞬行方不明になるが、すぐに見つけ出される。「ポンコ、いましたよ」と、なな子(岡田茉莉子)に座敷に無造作に放り投げられている場面はどこかユーモラスだ。原作では、米子が「あんた、ポンコを外に出したでしょ。探してきて」と梨花を責めている。梨花は「なんだ、コイツ」とむかっ腹を立てている。猫の存在さえも、映画と小説では違ったものになっているのだ。そこが興味深い。

 

最後のおつたと染香(杉村春子)の三味線のコラボは圧巻だ。そこに、勝代が踏む足踏みミシンの音がシンクロする。「つたの家」が静かに滅びてゆくさまは、まさに「流れる」というタイトルそのものだ。川の水は所々で頑固にとどまろうとするが、結局は流れていく。滔々と流れる隅田川の流れ。真言宗の太鼓の響き。今では見ることのできない柳橋の古い町並み。滅びゆくものを惜しむ気持ちがぐっと胸に迫ってくる。

 

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