こだいらぽんたの読書日記

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「わしは、国を盗りにゆく」司馬遼太郎著『国盗り物語』(1)斎藤道三<前編>(新潮文庫)

司馬遼太郎でおすすめは?と聞かれたら、やはり『国盗り物語』(全4巻)をおすすめする。1~2巻は斎藤道三編、3~4巻は織田信長編。何度読んでも圧倒的な面白さだ。

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 司馬遼太郎著『国盗り物語』(1)斎藤道三<前編>(新潮文庫

ざっくりした内容

1517年。室町末期。妙覚寺の元僧侶だった松波庄九郎は「オレが天下をとる!」という野望に燃えていた。後の斎藤道三である。乞食同然の庄九郎はどうやって天下を取ろうとしたのか?

*天下を取るには資金が必要だ。庄九郎は、油問屋である奈良屋の後家さんをたらしこみ、まんまと店の主人におさまってしまう。商売の才覚がある庄九郎はビジネスで大成功。あっという間に大金持ちに。その間にも庄九郎は諸国のリサーチを重ねる。「美濃は有能な人材がいない。よし、まずはここを乗っ取ろう!」

*「一年だけ自由が欲しい」と妻に告げ、美濃へ旅に出た庄九郎。彼は妙覚寺時代の同僚・日護上人を訪ねる。日護上人のつてをたどって、庄九郎は土岐頼芸(よりよし)に仕えることに成功する。土岐頼芸家督争いで兄の土岐政頼に敗れ、退屈な日々を送る毎日だ。そこに庄九郎が頼芸に陰謀を持ちかける。「クーデターを起こして、兄貴から美濃の国を奪いましょう」

*庄九郎のクーデターは大成功!武力で土岐政頼はお城を追っ払われ、美濃の守護職土岐頼芸の手に。だが、兄も弟も政治の才能がないことに変わりはない。美濃の将来を案じた家老・長井利隆は、「自分の城と家督をあげるから、美濃の国を立て直してほしい」と庄九郎にすべてをあげて政治から引退してしまう。棚ボタ的な展開で、庄九郎は加納城の城主におさまってしまうのだった。

かんたんレビュー

松波庄九郎(斎藤道三)の存在は、もはやマンガだ。槍の名人であり、教養人であり、商売でも大成功をおさめ、金はうなるほど持っていて、百姓たちには慕われ、女性にはモテモテだ。こんなヤツ、どこにいるんだ!と突っ込みながらも、ぐんぐん引き込まれていくのは、話のテンポがいいからだろう。国を盗るための次の一手を考えながら読み進めるのだが、アイデアが貧弱な私では庄九郎の次の一手が読めず、「そうきたか」の連続だ。

もちろん、教えられることも多い。庄九郎は人間というものが嫉妬深いことを知っていた。だから他人の嫉妬を買うことは極力避けた。屋敷に塀を作らず果樹園にしてしまったり、寺に大金を寄進したり、無欲なフリもした。(腹の中は野心で真っ黒である。)他人の嫉妬を買わないよう、細心の注意を払うことは大切だ。

また、歴史の教科書に出てくる「大山崎八幡宮神人」がどういう存在だったのか知ることができた。当時は「座」というものがあり、ほとんどの業種の商工業は自由に開業できなかった。許可権をそれぞれ特定の有力社寺が持っており、そこから許可証がおりなければ商売ができない。大山崎八幡宮はえごま油の座元であり、八幡宮の利益を守る武装勢力が「神人」だ。「神」がついているのでエラい人たちかと思いきや、彼らは下層民だった。

「わしは、国を盗りにゆく」と庄九郎は言う。

「一国を奪ってその兵力を用い、四隣を併合しつつ、やがては百万の軍勢を整えて京へ押しのぼり、将軍を追って天下を樹立する。もはや庄九郎の天下には、神人などというばけものもゆるさず、徳政などの暴政はなさず、商人には楽市・楽座(自由経済)の権をあたえ、二里ゆけば通行税をとられるというようなことをやめて関所を撤廃し、百姓には一定の租税のほかはとらず、天子公卿には御料を献上してお暮らしの立つようにする」(『国盗り物語』(1)P229-230)

哲学というか、思想というか。司馬遼太郎の描く歴史上の大物にはそれがある。

 

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