こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

「明智光秀『再発見』の物語」司馬遼太郎著『国盗り物語』(4)織田信長<後編>(新潮文庫)

国盗り物語』が「サンデー毎日」に連載されたのは、1963年から1966年のことだ。当時、裏切者として悪名高い明智光秀を、歴史や伝統に関する教養が深く、軍事面や民政面でも優れていた武将として「再発見」したことは、相当新しいことだったのではないだろうか。

悪名高いといえば、斎藤道三もその一人だ。「あとがき」によれば、道三の子孫は静岡県に住んでいるらしいが、その家の人々は子孫であることをあらわにしたがらなかったという。『国盗り物語』によって、死後の悪名を着ることになった斎藤道三明智光秀に対する評価は見直されたはずだ。織田信長も含めて、器の大きさが半端ない。

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司馬遼太郎著『国盗り物語』(4)織田信長<後編>(新潮文庫

ざっくりした内容

足利義昭を将軍として擁立し、室町幕府再興したいと考える明智光秀。しかし、義昭の保護者が見つからない。周囲は才能のない奴ばかりだ。光秀はついに、「天才」織田信長に仕えることを決意する。信長なら義昭を京に連れて行き、将軍に据えてくれるだろう。その権威によって信長は天下を望めばいい。光秀は義昭と信長の橋渡し役として、二人の主君に仕えることになったのだった。

*京の松永氏・三好氏を蹴散らして義昭を征夷大将軍の座につけた信長。ところが義昭は信長の「人形」であることに飽き足らず、権力が欲しいと言い出した!こっそり反織田勢力を組織する義昭。信長は義昭に大激怒して、ついに義昭を追放してしまう。一方、光秀も義昭にはとっくに愛想がつきていた。室町幕府再興のために義昭を担ぎ出したものの、義昭はその器ではなかったとしみじみ感じるのだった。

*織田軍は快進撃を続け、天下を取るまであと一歩というところまで行きついた。そうなると、自分の座を脅かしそうな有能な部下はもう必要ない。織田家を支えた功臣たちが次々と追放され、その魔の手はついに光秀にまで及ぶ。いきなり自分の領地を取り上げられ無禄となった光秀は、信長に対してついに反旗を翻す。「敵は本能寺にあり!」

かんたんレビュー

斎藤道三の天下統一の夢は、織田信長明智光秀という、ふたりの愛弟子に受け継がれた。ところが、このふたりの性格は対照的で全く気が合わない。明智光秀教養主義者である一方、織田信長は教養には全く関心がなく、伝統に縛られない独創性を重んじる。

しかし面白いのは、ふたりは心の底では「虫が好かない」と思いながらも、互いの持つ才能を誰よりも評価していることだ。嫉妬しているといってもいい。互いの才能に惚れ込んでいるからこそ、必要以上に互いを意識し、憎しみも人一倍になってしまう。こうしたライバル関係の人間ドラマが面白くないはずがない。

ところが、信長は晩年になるとパワハラがひどくなり、以前にも増して部下をこき使うようになったり、暴力をふるったりするようになる。反織田勢力を蹴散らして余裕が出るようになると、今度は自分の勢力を脅かしそうな功臣たちをバサバサと切っていくのだ。光秀の場合はといえば、自分の所領(近江・丹波)をいきなり取り上げられ、収入がゼロになってしまうのだ。「自分の所領が欲しければ、毛利軍から出雲と岩見を切り取ればよろしい」とも。もともと信長の常軌を逸したパワハラぶりに疲れていた光秀だったが、この一件でついに堪忍袋の緒が切れた。「敵は本能寺にあり」だ。

光秀の謀反と聞いて、信長は「是非に及ばず」と、あの有名なことばを発する。これに余計な解釈を付け加えていないところが、とてもいい。最後まで乾いた描写が続くところがこの小説の魅力だ。余計な反省や回想をしないところが信長らしくていい。

 

斎藤道三織田信長明智光秀も滅んだ。天下取りの野望は豊臣秀吉へと受け継がれる。次は『新史太閤記』に取り組みたい。

 

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