こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

「強い人間なんていない。強い振りができる人間がいるだけさ」/村上春樹著『風の歌を聴け』(講談社文庫)

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を再読。村上春樹の原点だと改めて認識した。

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村上春樹著『風の歌を聴け』(講談社文庫)

ざっくりとした内容

*「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

主人公の「僕」が影響を受けた作家・デレク・ハートフィールドの言葉からこの小説は始まる。29歳の「僕」はこの言葉に慰められながら、書くという作業を行っている。世界を言葉にすることはできない絶望を感じつつ。


*回想録は「僕」が生物学を専攻する21歳の大学生だった頃の話を描いている。1970年夏、東京の大学に通う「僕」は、地元で夏休みを過ごした18日間。行きつけのバーでビールを飲み、「鼠」というあだ名の親友と語り合い、レコード店で働く女の子と知り合い、一瞬だが心を通わせる体験をする。


*「僕」は18日間のできごとを書いている途中で、数々のエピソードが登場する。過去に付き合った女の子の話。「僕」の子どもの頃の話。読んだ本や聴いた音楽の話。ラジオのDJのトーク。フラッシュバックした思い出の数々は、順番がおかしかったり妙なところがあったりもするが、「僕」は意識の流れに沿って、頭の中に浮かんだままを書き綴る。唐突なように思えても、このようにしか書けないからだ。

 

かんたんレビュー

 この小説では特に大きな事件は起こらない。淡々とした日常生活が綴られていく。人間は誰もが実にはかない生活を送っているのだということが切々と伝わってくる。

だからといって「どうせ、人間の存在なんて無意味なんだ」という拗ねた態度やふわふわした不安感は感じない。むしろそのありきたりで無意味かもしれない人間の日常生活をそこそこ楽しんでやろうじゃないかといった、根を張った力強さみたいなものを感じる。

たとえば「僕」の親友の「鼠」が、自分を取り巻く現状やら自分自身やらにぐずぐずと愚痴らしきものを言い始めた時、「僕」はこう答えている。

でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いものもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。(P121)

強い人間なんてどこにもいない。与えられた環境の中で強い振りをしながら生き続けることしか、私たちにはできない。この言葉にはすかっとした潔さを感じる。

 

 「犬の漫才師」と呼ばれるDJのもとに送られてくる少女からの手紙は感動的だ。彼女は脊椎の神経の病気を患い、ベッドに縛り付けられたまま歩くことも本を読むこともできない。そんな少女からの手紙がDJによって紹介される。

 病院の窓からは港が見えます。毎朝私はベッドから起き上がって港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸い込めたら・・・と想像します。もし、たった一度でもいいからそうすることができたとしたら、世の中が何故こんな風になりたっているのかわかるかもしれない。そんな気がします。そしてほんの少しでもそれが理解できたとしたら、ベッドの上で一生を終えたとしても耐えることができるかもしれない。(P148)


この手紙にDJはこう答える。仕事が終わってから港まで歩き、山の方を眺めてみた、と。

山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものかはわからない。あるものは貧しい家の灯りだし、あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた。(P149)

そして、リスナーに向かってこう呼びかける。

僕は・君たちが・好きだ。(P149)

「実にいろいろな人がそれぞれに生きてたんだ」という言葉がいい。ビールを飲み、レコードを聴き、生活のためにけっこう辛い思いもして、それぞれにいろいろな人が生きている。人間の存在なんて「風」に等しい。そんな「風」のような存在を愛おしいと思う気持ちがとてもいい。

 

デレク・ハートフィールドが「火星の井戸」という小説の中で言っている。宇宙の壮大さに比べれば、人間は時の間を彷徨っているに過ぎない。何十億年単位で変化している宇宙の前では、人間など無に等しく、生も死もないようなものだ。敢えていうなら、風だ。風でしかないのだ。

「僕」はかつて、人間の存在意義をテーマにした小説を書こうとしていた。そして、人間に関わるすべてのものごとを数値化して存在意義を示そうとしたが、見事に失敗する。人間は数値化することができないからだ。

その次に「僕」が挑戦したのが「文章を書くこと」だ。はかない風の歌を聴き、風の歌を文章に書き表すことで、この世界そのものや世界における自分の立ち位置を少しでも知りたいと思ったからだ。しかし前途は多難だ。手のひらにすくった水が零れ落ちるように、言葉にした瞬間、あと一歩でこの手に触れそうだったものは消え去ってしまうかもしれない。

それでも「僕」は書き続ける。「完璧な絶望など存在しないように」、文章でほんの少しでもこの世界がどうなっているのかを書き表すことができるなら。

風の歌を聴け


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