こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

「竜馬の運命を変えた男・勝海舟との出会い」司馬遼太郎著『竜馬がゆく』(3)(文春文庫)

福沢諭吉著『福翁自伝』に出てくる勝海舟はあまりカッコ良くない。福沢諭吉勝海舟と咸臨丸でアメリ渡航を共にした。咸臨丸の艦長は木村摂津守だが、実質的艦長は勝海舟だった。が、船にめっぽう弱い勝はこんな書かれ方をしている。

勝麟太郎という人は艦長木村の次にいて指揮官であるが、至極船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることはできなかった」(岩波文庫福翁自伝』P135)

咸臨丸が到着するとアメリカは歓迎の祝砲を打ってきた。こちらも応砲をすべきだろうか。ところが勝は「応砲して失敗したら恥ずかしいからダメ!」と頑固に言い張った。結局、運用方の佐々木という男が「じゃあ、俺が打ってやる」と水兵たちに指示を出して見事成功。『福翁自伝』を読むと、勝が肝っ玉の小さな男に思えてくる。

ところが『竜馬がゆく』の勝海舟はなかなかすごい男なのだ。『竜馬がゆく』を読んで勝海舟のファンになった人も多いのではないだろうか。もちろん、坂本竜馬にとっても、勝海舟との出会いは運命の出会いとなった。

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司馬遼太郎著『竜馬がゆく』(3)(文春文庫)

ざっくりとした内容

*「尊王攘夷思想」にかぶれ「開国主義者は国賊だ!」という風潮に当時の若者たちはおどらされていた。千葉道場の千葉重太郎幕臣勝海舟が開国主義者だと聞きつけ、勝を斬りに行こうと竜馬に持ち掛ける。しぶしぶと重太郎についていく竜馬。ところがいざ実物の勝海舟に会ってみると、とてつもないスケールを持った男だった。

*勝は二人に説く。「英国もロシアも軍艦を持っているから言いたいことが言える。日本も軍艦を自前で建造し、艦隊を作るべきだ。軍艦を作る金は海外貿易で稼げばいい」。この話に竜馬はのめりこんでしまう。「俺がやりたかったのはそれなんだ!」。竜馬の目指すべき方向がはっきりと形になった瞬間だった。「勝先生!弟子にして下さい!」と夢中で頼み、坂本竜馬勝海舟の弟子となったのだった。

*竜馬が勝海舟から受けた恩恵は計り知れない。築地の軍艦操練所で船の技術を学ぶことができたばかりか、元土佐藩主・山内容堂への勝による進言で脱藩の罪も許された。そして今、勝と竜馬は協力して海軍学校を作ろうとしていた。勝は幕府の許可を取り学校建設の敷地を用意する。金策と船員のリクルートは竜馬の役目だ。竜馬は越前藩主・松平春嶽に頼み、なんとか融資を取り付けることに成功したのだった。

かんたんレビュー

これまでの竜馬は「こういう方向で進もう」という思想的な道筋が見えてこなかった。竜馬は倒幕論者だ。しかし尊王攘夷だの倒幕だのを狂信的なまでに叫んでいる連中の姿を見ると、なにかしっくりこないものを感じる。尊王攘夷とは何かの悪い宗教か?テロで世の中変わるのか?何かがおかしい。

そんなモヤモヤ状態の竜馬の目の前に現れたのが勝海舟だ。倒幕論者である竜馬の運命を変えたのは、皮肉にも幕臣という立場にある人間だった。

勝の考え方は実利的だ。日本は海外貿易で金を稼ぎ、その金で日本を防衛する艦隊を作るべきだというのだ。しかも軍艦を外国から買うのではなく、自前で建造する。そのための製鉄所や工作機械を作り、技術者も育てる。

勝のことばに、竜馬は興奮を抑えきれない。やっと自分の進むべき道を見つけたからだ。いわば実利的倒幕論とでも言った方がいいかもしれない。

竜馬艦隊を持つということが、竜馬の尽きない夢であった。こういう男だが、この点だけは執念ぶかい。恋に似ている、などという程度のものではない。男子の恋は、簡明直截であるべきだと、竜馬は信じている。

船。

これのみが、生涯の念願である。船をもち軍艦をもち、艦隊を組み、そしてその威力を背景に、幕府を倒して日本に統一国家をつくりあげるのだ。(P296)

 「尊王攘夷だ!」「開国だ!」とお互いの立場にとらわれるのではなく、俯瞰して物事を見ることの重要性を竜馬は知っていた。勝の弟子になってから、竜馬は「あいつ、幕臣の勝なんかと付き合ってるぞ。思想ってもんがないのかよ」と尊王攘夷派の連中から陰口を叩かれるのだが、そんなことは小さなことだ。竜馬艦隊を率いて日本を護衛し、海外貿易でがんがん儲けて日本の国庫を豊かにしたい。それが竜馬の進むべき道だ。

 

今まで数々の対立軸を見てきた。

土佐藩における上士vs郷士

尊王攘夷派vs開国派」

「討幕派vs佐幕派公武合体派)」

ややこしいのは、尊王攘夷派=討幕派とは限らないことだ。水戸思想のように「朝廷を敬うことが強い幕府を作るのだ!」という考え方もあるので、ベン図を描くと交わっているところが出てくる。ところがこの巻では決して交わらないふたつの円が登場する。新たな対立軸だ。

それが長州藩」vs「薩摩藩だ。

どちらも関ケ原の負け組で徳川幕府の恩恵は受けていない。また、どちらも尊王攘夷思想が吹き荒れている藩でもある。「似ているからこそ嫌い」という近親憎悪の感情もあるかもしれない。

特に長州の尊王攘夷思想は過激でもはや宗教と化していた。長州は公卿の工作が巧妙で朝廷は長州思想一色だ。今や天皇の名において「攘夷を決行せよ」と幕府に命ずるようにまでなっていた。朝廷の命令を聞くために将軍はわざわざ上洛している。幕府の首脳陣も京都に移ることになった。「長州藩天皇を擁して長州幕府を作るのではないか」と薩摩藩は思いながらも兵備を整えながら静観している状況だ。「長州のいいように政局を動かされてたまるか」というプライドもあっただろう。

 

一方、京はもはや無法状態となっていた。開国論者だと分かれば、京では大根のように斬られてしまう。「勤皇志士」を名乗る人間が「天誅」と称して人を斬り、「勤皇活動のための御用金」を巻き上げるために押し込み強盗を働いている始末だった。こんなやり方で倒幕や攘夷ができるのだろうか。外国の脅威から日本を守ることができるのだろうか。

(第4巻に続く)

 

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