こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

佐藤優著『人をつくる読書術』(青春新書インテリジェンス)

佐藤優著『人をつくる読書術』(青春新書インテリジェンス)

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世の中には「本を読む人」と「本を読まない人」がいる。そして「本を読む人」にしか得られないものがある。本書は何をどのように読むか、さらになぜ読まなければならないか体系的にわかりやすく書かれている。

「何」を読むべきかに関して、筆者は古典の重要性を説く。古典はそのテキストを読んでいるギャラリーが一定数いるため、批評がある程度積み重ねられ、読み方のスタンダードがはっきりしているからだ。なかでもおすすめは小説だという。なぜなら、物事を一つの視点や価値観からとらえるのではなく、つねに重層的、複眼的な視点でとらえることができるからだ。例えば、ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』を例にあげて筆者はこのように述べている。

複眼的な視点がもてるようになると、コミュニケーションの仕方も当然変わってきます。一面的なものの見方しかできないと、相手の言葉や反応に対して好悪、善悪、是非、可不可といった単純な反応しかできません。(中略)

複眼的な視点をもてば、物事に対する決めつけが少なくなる。偏見もなく、さまざまな角度から検証できるので、より正確かつリアルに対象を把握することが可能になります。(P64-65)

 これを読むと、マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』の女主人公スカーレット・オハラを思い出される。彼女は頭がよくて困難にぶち当たってもへこたれない生命力もあるのに、教養がないために俯瞰して物事を見ることができない。目の前にいる人がどういう内在的論理で行動しているか見極めることができず、快・不快の感情だけで刹那的に判断してしまう。日常生活で何が起ころうと、彼女は理解したいようにしか理解できない。これがどんどんスカーレットを不幸に追いやっていく     という物語だ。確かに古典小説は重層的なものの見方を学べる格好のテキストかもしれない。

 

筆者が人生の節目節目で読書の指南役に出会い、その時必要としている本に出会っているのも面白い。「本を読む人」になるためには、意外と人との出会いも大切な要素なのかもしれない。

個人的に面白かったのは、最終章の「キリスト教者をつくる本の読み方」だ。あまり「読書術」とは関係ないかもしれないが、読み飛ばしてはいけない。

なぜなら、誰もが気になる「神は人間が勝手に頭の中でこしらえた妄想なんじゃないか」という問題について神学者たちがどのように解決したか、平易なことばで説明されているからだ。カール・バルトが示した解決法については「なるほど」と思った。バルトの言葉である「不可能の可能性」も含蓄が深い。

「神学とは、人間がけっして感知したりイメージしたりできない神を、人間の言葉で表象するという根源的な矛盾を抱えた学問になる。けっして人間が認知できない存在を、牧師や神学者は人間の言葉で表さなければならない」(P195-196)

この矛盾をバルトは「不可能の可能性」という言葉で言い表したというのだが、これは神学に関係ない人間にとっても考えさせられることばだ。世の中は矛盾に満ちているが、その矛盾にじっと耐えることの大切さがイメージとして浮かんでくる。絶対に不可能だとわかっていながら、それでも可能性を探っていく。生きていくうえでとても大切な言葉のような気がする。

 

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