こだいらぽんたの読書日記

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書物と真剣に格闘するということ。/アウグスティヌス著『告白Ⅲ』(山田晶訳/中公文庫)

アウグスティヌス著『告白Ⅲ』(山田晶訳/中公文庫)

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最終巻「告白Ⅲ」は哲学的な要素が入ってきて、突然難しくなる。私の読解力(および基礎知識)では理解できないところも多い。それでも懸命に読んでみた。

それにしても、1600年前によくも「時間とは何か」という問いをたてられたものだと驚嘆する。

1.神は天地を創造すると同時に、時間も創造した
「神は天地を創造する以前は、何をしていたのか?」という問いに対して、アウグスティヌスは「何もしていなかった」と答える。そんな答えでいいのか?と心配になるほどあっさりしているが、そこには時間に対する考えがある。

「天地の存在する以前には時間も存在しなかったとすると、『そのときあなたは何をしていたか』などと、どうしてたずねるのでしょうか。時間がなかったところには、『そのとき』などもなかったのです」(35~36ページ「告白Ⅲ」)

 それでは時間とは何なのか。過去、現在、未来とは何なのか。過去はすでになく、未来はまだここにない。現在はあっという間に過ぎ去ってしまう。それなのに、どうやって時間を測ることはできるのか。

「過去についての現在とは『記憶』であり、現在についての現在とは『直観』(ここでは文字通り、目の前のものを直接見つめること)であり、未来についての現在とは『期待』です」(52ページ「告白Ⅲ」)

「ですから長いのは未来の時ではありません。未来の時は『ない』。長い未来とは、未来についての『長い期待』にほかなりません。長いのは過去の時でもありません。過去の時も『ない』。長い過去とは、過去についての『長い記憶』にほかなりません」(75ページ「告白Ⅲ」)

「いくつかの方向への分散状態が私の生命なのです」(77ページ「告白Ⅲ」)

 

つまり、過去と現在と未来について気が配られている「人間の心のありよう」が「時間」だというのだ。
何かの原因で地球上の全人類が絶滅したら、時間も消滅するということか。時間が人間の精神の中にあるとしたら、そういうことになりそうだ。
興味深いのは、アウグスティヌス占星術による占いを完全否定していることだ。占いがあたるのは偶然にすぎないのだという。未来は「まだない」のだから、見ることができないものだからだ。
占いと宗教はまったく別物らしい。このことは強く印象に残った。

2.書物と真剣に格闘するということ
「告白Ⅲ」の巻末には山田晶の解説「教父アウグスティヌスと『告白』」が載っている。この解説文の初めに、山田先生の自伝的記述が書かれているのだが、これを読んで心が揺さぶられた。

「京大にはいって、はじめて訪れた哲学科の書庫で、まず借り出したのが、アウグスティヌスの『告白』だった。その日から翌昭和十八年の十二月、いわゆる学徒出陣で海軍に入隊する日まで、ほとんど毎日のように学校にかよってこの本を読んだ。高校時代に独習したラテン語と、辞書と訳書をたよりに、強引に読みすすんだのだった。当時の京大の構内は、いまよりも静かだった。閲覧室は午後九時まであいていた。夜など、だれもいない部屋で本を読んでいると、静けさがはらわたにしみわたっていくようだった」(290ページ)

「しかしその静けさは、平和の静けさではなく無為の静けさでもなかった。それは不気味な静けさだった。海や陸では死闘がくりひろげられ、多くの人々が血を流していた。自分たちは大学生の特典で兵役を延期されていたが、いつ兵役にとられるかわからなかった。
そういう状態で勉強できるこの時間は、まことに貴重だった。未来に希望がなかったから、今この一瞬の勉強に、全生命をかけた。私の心はまさに『暗い中世』だったのだ。暗さの中に、一条の光明を求めていたのだ。しかしこの現実から逃げようとは思わなかった。許されるあいだ勉強しよう。征(ゆ)く日がきたらいさぎよく征こうと思っていた。その日は思いがけず早くきたが、残念とは思わなかった。私はそれまで続けてきた研究ノートに『生きてかえれたらまたつづけよう』と書いた。何の未練もなかった」(293~294ページ)


周囲を取りまく静けさが迫ってくるような気がした。

同時に、真剣に書物と向き合うということはこういうことなのだとも思った。

いつ戦場に駆り出されて、明日死ぬかもしれない。そんなぎりぎりの状況の中で、命がけで書物と格闘する。役に立つとか立たないとかそんなものはどうでもいいことだ。
「ほんとうのことが知りたい」。ただそれだけだ。それだけのために、山田先生はこの難解な書物と向き合い、真剣にアウグスティヌスと対話したにちがいない。この静かな文章からそれが伝わってきて、涙がこぼれそうになった。

この著作を通じて、今では誰でも1600年前に生きた最大の教父アウグスティヌスに会うことができる。注釈もていねいでわかりやすい。その恩恵は計り知れない。

 

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