こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

読んでいる人は少ない。でも多くの人に読んでもらいたい名作。/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(12)』『チボー家の人々(13)』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(12)エピローグⅠ』『チボー家の人々(13)エピローグⅡ』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20170922124340j:plainf:id:kodairaponta:20170922125039j:plain

 

 『チボー家の人々』第12巻と第13巻「エピローグ」は、第一次世界大戦終結を目前とした1918年5月から始まる。「イペリット・ガス」という名の毒ガスにやられたアントワーヌは南フランスの療養所で過ごしているが、発声障害や呼吸障害が出て容体が思わしくない。そこへ、彼とジャックの育ての親「ヴェーズおばさん」が亡くなったという知らせがくる。葬式に出るため、アントワーヌは久々にパリに向かうのである。

12.エピローグⅠ 13.エピローグⅡ


チボー家の人々』第12巻と第13巻の内容をまとめて紹介する。
「エピローグ」はジャック死亡後の、チボー家およびフォンタナン家の人々の後日譚が記されている。戦争は多くの人々の人生を変えてしまった。

フォンタナン夫人は、メーゾン・ラフィットにあるチボー家の別荘を借り、傷病兵のための病院を切り盛りしている。この病院には、ダニエル、ジェンニー、ニコル、そしてジゼールまでもが共に暮らしている。ニコルとジゼールは看護婦として働いている。

ジェンニーはジャックの遺児、ジャン・ポールを生んだ。ダニエルは戦線での負傷がもとで足を切断した。何をする気力もなく、絵も描いてはいない。甥っ子のジャン・ポールの面倒はよくみる。だがダニエルはアントワーヌにあてた手紙の中で、自分が負傷で性的不能になったことを打ち明け、自ら命を絶とうと考えていることをほのめかす。

アントワーヌとジェンニーは、外交官リュメルの助けもあって、ジャックの消息を知ることができた。そして、ジャックがアルザス上空から戦争反対のアジビラを撒くために飛行機で飛び立ったことも、その飛行機が墜落して火だるまになったことも知ることになる。

アントワーヌはこうした「ばかげた死に方」が腹立たしいと思い、ジェンニーは自分が妊娠していることも知らずにジャックが逝ってしまったことを残念に思う。
ジャン・ポールはジャックの顔立ちにそっくりだった。反抗的な性格もそのままだ。今やチボー家の血を伝える唯一の存在として、アントワーヌは愛情を覚えるのだった。

アントワーヌはアメリカ大統領ウィルソンが提唱した、国際連盟の理念に希望を託す。だが、外交官のリュメルは「清教徒の単純きわまる道徳論」だと笑い飛ばす。マルヌ、ソンム、ヴェルダン。アントワーヌにとって凄惨な思い出しかないこれらの地名も、リュメルが口にすれば、たちまち現実性をはぎとられ、なにか専門的な報告書の表題か、受験参考書の見出しのように思えてくる。戦争を実際にしている人間と、していない人間。そこには決して折り合いがつくはずはないと、アントワーヌは内心憤るのである。

「エピローグⅡ」の後半は、自分が助からないことを悟ったアントワーヌが、療養所の病室で書いた日記のみで綴られていく。彼の肺は毒ガスで致命傷を負ってしまった。日記にはアントワーヌの体力が消耗していくことが伺えるとともに、記述内容ががどんどん短くなっていく。アントワーヌが死につつあることがわかるのが切ない。
アントワーヌは、ジェンニーに思い切った提案をする。それはふたりが戸籍上の夫婦となることだ。目的はふたつだ。ジャン・ポールを私生児にせず、れっきとした姓を与えて、子どもが被る社会的な困難を少なくすること。そしてアントワーヌの財産をすべてジャン・ポールに与えたいということ。

しかし、ジェンニーはアントワーヌの申し出を断る。自分の行為の全責任は自分で負うというのだ。ジャックの子どもはジャック以外の父親を持つべきではなく、ジャックの妻はジャック以外の夫を持つべきではないと。彼女の頑なさもジャックそっくりだ。

それでもアントワーヌにとって、ジャン・ポールは未来への希望だった。彼はチボー家の血を引く甥っ子に対して、ああも生きてほしい、こうも生きてほしいと、何本ものメッセージを残す。その中で「人はなんのために生きるのか、なんのために最善をつくすのか」という問いに対するひとつの答えがでる。

それは、過去と将来とのためなのだ。父や子供たちのためなのだ。自分自身がその一環をなしているくさりのためなのだ・・・連続を確保するため・・・みずからの受けたものを、後に来る者へわたすため    それをさらに良いものにし、さらに豊かなものにしてわたすためなのだ。(第13巻 P194)

 1918年11月。ドイツ革命が起こり、カイゼルは亡命。ドイツと連合国軍との休戦協定が結ばれる。

第一次世界大戦終結の日まで、アントワーヌは生きていることができたのだ。戦争は彼を全面軍備撤廃の絶対平和主義者にしていた。ウィルソンの国際連盟に希望を託して。しかし、作者が「エピローグ」を書いたのは1937年から1939年にかけてだ。もちろん国際連盟を提唱した当のアメリカが、国際連盟に加入しなかったことも知っているはずだ。アントワーヌが国際連盟に希望を抱くラストはいったいどんな意味がふくまれていたのだろうか。

アントワーヌの肉体的な苦痛は日増しにひどくなっていく。声門はほとんど開かない。両肺に膿瘍が散らばっていて灼熱感がある。最後は窒息死になることが目に見えていた。

だが、彼は医者だ。最後の手段がある。それは安楽死だ。

十八日
両足に浮腫。やる気だったらいまならできる。すべて準備ができている。手をのばし、心をきめさえすればいいのだ。
ひと晩じゅう、戦いとおした。
いよいよ、その時。

一九一八年十一月十八日、月曜
三十七歳、四ヵ月と九日。
思ったよりもわけなくやれる。

ジャン・ポール       (第13巻 P235)

 『チボー家の人々』を読んだことがあるという人にはなかなかお目にかからない。それが残念でたまらない。しかし、現在の世の中がどうなっているのかを捉えるためにも、決して読んでおいて損はない。
たとえば、この本には、ドイツさえその気になれば第一次世界大戦を防ぐことができたのではないかと思われる個所がいくつも出てくる。また、「資本主義を破壊し、真の格差なき社会を作るには、戦争による徹底的な大混乱と大破壊が必要だ!」と主張するメネストレルのような「おかしな人」も登場する。

歴史は連続している。過去を振り返り、現在の状況を掴んだり未来に何が起こるのかを見通すのに、こういう小説は大変役にたつにちがいない。
それに、一番大事なことだが、『チボー家の人々』は圧倒的に面白い。先の展開が気になって気になって、全13巻などあっという間に読めてしまう。
青春群像劇としても、 ヨーロッパを知る上でも、戦争を考える上でも、多くの人に読んでもらいたい。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

「死が身の回りから遠ざかっている今だからこそ、この本を読んでもらいたい。」 ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(11)一九一四年夏Ⅳ』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(11)一九一四年夏Ⅳ』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20200307112420j:plain

 

「一九一四年夏」の最終巻だ。
なぜ戦争は起こるのか、なぜあらゆる反戦勢力は敗れたのか。初めは戦争反対だった大多数の国民が、「自分の国は自分で守れ!」と、ナショナリズムの嵐が巻きこまれていったのはなぜなのか。この本を読めば当時の疑似体験ができる。一度ドミノが倒れてしまったら、あとは引き返せないのだ。

11. 一九一四年夏Ⅳ
チボー家の人々』第11巻のあらすじを紹介する。

1914年8月1日。フランスでついに総動員令が発動された。8月2日日曜日をもって動員発令第1日目とする。外国人は8月2日までにフランスを退去しなければならない。
ジャックは兵役につくつもりなどさらさらない。スイス国籍の偽パスポートを持っているので、恋人のジェンニーを連れて国外退去するつもりだ。だが、そのあとは?スイスに逃げた後、何をすればいいのか?「自分の生活、自分の意志、自分の確信を行動にあらわさないかぎり、そこにはなんの意味もないのだ」と、ジャックは考える。

フランスを立つ前に、兄アントワーヌに会っておかなければと思い、ジャックは兄の家に向かう。アントワーヌは動員発令第1日目にコンピエーニュに向かうことになっていた。
アントワーヌは、ジャックとジェンニーの仲を打ち明けられ仰天する。ふたりでスイスに向かうだって?しかもこんな時に。アントワーヌはジャックに「きみは、ほかの人間を幸福にするには根本的に不適任だ・・・根本的に!」とはっきり告げる。ジャックの持つ思想は、ジャック自身のみならずジェンニーにも危険を及ぼす。アントワーヌのことばに、ジャックは激昂する。「あなたは一個の冷血漢だ!あなたは、一度も愛したことがない!これからだって、ぜったい愛したりはしないだろう!」

最後の最後まで、ジャックは「兄さんにはわからないんだ!」という台詞を言い続けるのだ。

だが、ここまで激しいことばのやり取りをした後でも、やはり血の通った兄弟だ。翌日の朝、ジャックはひょっこり家に現れ、アントワーヌを駅まで送る。

それはまさにジャックだった。彼は入口のところに立ちどまった。アントワーヌは、ぎこちないようすで前へ進んだ。感動のあまり、ふたりは、声が出なかった。ふたりは黙ってたがいに手と手を握りあった。さもきのう、何ごともなかったとでもいうように。(P103)

ふたりはまた会えるだろうか?心の中に家を中心とした、どうということのない様々な出来事がふたりの胸に浮かぶ。そして、ふたりは駅でぎこちないようすで抱き合って別れを告げる。

一方、ジェンニーも母親と対決せざるを得ない。フォンタナン夫人がオーストリアから帰ってきていた。彼女はピストル自殺した夫に対する告訴を取り下げることに成功していた。

もちろんフォンタナン夫人はジェンニーに思いとどまらせようとするが、ジェンニーの意志は変わることなく、荷物をまとめて家を出てしまう。だが、家でひとりで泣き崩れているであろう母親のことを考えると、ジェンニーの心は揺れ動く。そして、待ち合わせの場所に現れたジャックに、「私はお母さんをおいては行けない」と告げるのだ。


ところがジャックは、落胆するどころか、「これで自由になれた!」と思う。これで心おきなく自分の使命を遂行できる。これでかんたんになったのだ、と。

ジュネーブに着いたジャックは、自分の計画への協力をあおぐため、メネストレルを訪れる。彼の計画にはメネストレルの人脈が必要なのだ。
ジャックの計画とは、アルザス戦線の上空を飛行機で飛び、独仏両軍に向かって、両国語で書いたアジビラを何千何万とまくことだった。「反抗せよ!彼らのために命をささげることを拒んでやるんだ!人を殺すことを拒んでやるんだ!」と、前線の人間に呼びかければ彼らも心が動くに違いない。
その計画を実行するために、飛行機の操縦を数日間だけ教えてもらいたいというジャックを制して、メネストレルは自分が操縦することを申し出る。恋人のアルフレダがメネストレルのもとを去ってから、彼は腑抜け状態だ。彼もまた、死に場所を求めているひとりだ。バーゼルへ行き、国境から飛び立てば、すぐにアルザスの上に出られる。それまでにビラの原稿を用意し、フランス語とドイツ語に翻訳し、印刷所で印刷しなければならない。飛行機はメネストレルが用意してくれる。

ジャックはバーゼルに向かう列車の中で、アジビラの原稿を書いていた。このときのジャックの脳裏をさまざまな思いがよぎる。彼はアントワーヌやジェンニーやダニエルのことを思う。しかし今や、彼らは自分とは違った世界の住人だった。彼らは「生きている世界」であり、これからも人生の旅を続けていく人間なのだ。

おれには、戦争をせきとめることなぞできやしまい・・・誰も助けることなんかできやしまい。助かるのはおれだけなんだ・・・だが、おれだけは、なすべきことをやってのけ、自分自身を助けるのだ!(P232-233)

ジャックはいつも「ここではない、どこかへ」の逃亡を繰り返していた。そして、最後は死への逃亡が待っている。

彼は、すでに恐怖を乗り越えてしまっていた。見せかけの強がりをすて、思いつめた、酔うような、身のしまるような悲しみの気持ちで、その呼びかけにこたえていた。こうした意識的な死、これこそは人生の完成なのだ。これこそは、自分自身にたいしての忠実さ・・・反抗の本能にたいしての忠実さの、究極の行為にほかならないのだ・・・彼は、子供のころから、いつも《否!》と言いつづけた。それこそは、彼にとり、ただ一つの自己確認の方法だった。人生にたいする否ではなかった・・・社会にたいする否だった。ところが、いまこそ最後の否、すなわち生きることにたいしての否なのだ・・・(P252)

このくだりは胸を打つ。どの部分を引用したらいいかわからないほどだ。ジャックがバーゼルで、自分が徹底的にひとりぼっちだと感じる場面も素晴らしい。完全なひとりぼっちの尊さと力を、ジャックはたまらないと感じている。

これでいよいよ重荷がおろせる・・・、あの、うるさい、腹の立つような世間とのおつきあいもこれで終わりだ!しちめんどうな、腹の立つような自分自身とのおつきあいもこれで終わりだ・・・彼は、なんの心のこりもなく、生のことを思っていた。生のこと、そしてまた死のことを・・・(P248)

ジャックとメネストレルは、飛行機にアジビラを積み、アルザスに向けて飛び立った。しかし、ついに反戦ビラは撒かれることはなかった。

アルザスの上空で発動機が止まり、飛行機はまっさかさまに墜落してしまうのである。飛行機は地面に叩きつけられ爆発を起こし、メネストレルは焼死。ジャックは大やけどを負い、舌はちぎれ、瀕死の状態となってしまう。
何事かと駆けつけたフランス軍に、ジャックはドイツ軍スパイの容疑をかけられ、担架で連れまわされてしまう。あまりの苦しみに、そのまま死なせてほしいとジャックは願うのだが、なかなか思うようにはいかない。
その後、ドイツ軍の攻撃を受け、フランス軍はパニックに陥る。担架に積んだ「お荷物」など運んでいる余裕などない。早く逃げなければ。「ばかやろう、かたづけちまえ!つかまえられなくなかったら、きさまも早く逃げ出すんだ!」の声に、一度も人を殺したことのない兵隊が、震える手で銃を持つ。そして、ジャックの頭めがけて発砲するのである。

ジャックは25歳だった。

まだまだ第一次世界大戦は始まったばかりだ。4年間もの長期戦になると、この時誰が予想しただろうか。

(第12、13巻「エピローグ」につづく)

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

「普通の人々が、どのように戦争に引き込まれていったのか。そのリアルさに震える」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(10)一九一四年夏Ⅲ』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(10)一九一四年夏Ⅲ』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20170905162740p:plain

フランス国民の大多数は戦争反対だった。誰しも戦場で殺し合いなんてしたくなかった。ところがいつの間にかずるずると戦争に引き込まれ、「領土保全のためなら仕方ない」または「正当防衛のためなら仕方がない」と考えるようになる。最後の砦だったインターナショナルの闘士たちも次々と寝返っていく。

普通の人々はこのように戦争に巻き込まれていくのかと、読者自らが追体験できる。正直言って怖い。



10. 一九一四年夏Ⅲ
チボー家の人々』第10巻のあらすじを紹介する。

ジャックはメネストレルの指令でベルリンに向かっていた。オーストリアの将校、シュトルバッハ大佐がベルリンの陸軍省を訪れている。ジャックの任務は、シュトルバッハが持っている秘密文書を手に入れ(といっても、トラウテンバッハという盗人がうまく手に入れてくれることになっているのだが)、ブリュッセルにいるメネストレルに渡すことだ。かなり危ない仕事だが、ジャックはベルリンを無事に通過し、秘密文書をメネストレルに渡す。

メネストレルはホテルの部屋でひとり、秘密文書とにらみあっていた。秘密文書とは何か。それは今にも勃発しそうな戦争を吹き飛ばしてしまう可能性のある爆弾だった。「シュトルバッハ文書」は、ドイツ軍部とオーストリア軍部が通謀し、戦争準備を着々と進めてきた事実を伝えていた。オーストリア皇帝は戦争反対だった。ドイツ皇帝もドイツ宰相も戦争はやりたくない。それなのに、政府の思惑をすっ飛ばして、軍部が暴走してしまったのだ。すべては始めから仕組まれていたのである。
この事実をインターナショナルの指導者たちが知ればどうなるだろうか。社会主義者たちの脅迫の前に、ドイツはオーストリアに差し出しかけた手を引っ込めるかもしれない。オーストリアはドイツの支持を失ってまで戦争をする勇気はない。そうなれば、オーストリアも外交上の駆け引きで満足せざるを得ない。世界戦争は回避されるだろう。


だが、革命家のメネストレルはこの文書を握りつぶしてしまうのである。「革命には戦争による混乱が必要だ」という信念があるからだ。メネストレルはこの秘密文書を焼き捨ててしまう。戦争を阻止するための切り札は、あっけなく消え去ってしまうのだ。

誰も戦争なんてやりたくない。特に民衆は誰もやりたくない。それでも「仕方がない」と諦めが周囲になんとなく広がり、誰もが戦争に引きずり込まれていく様が、この本ではあまりにもリアルに描かれる。

ジャックは戦争に絶対反対の平和主義者だ。ゼネストによって戦争拒否の意思を示すことで、なんとか戦争を阻止したい。だが、インターナショナルも一枚岩ではなかった。正当防衛による戦争に賛成派と反対派に別れて議論ばかりしている。それでもインターナショナルフランス支部の指導者であり『ユマニテ』紙主筆のジョーレスはまだまだ元気で、戦争阻止を叫んでいる。彼こそがジャックの心の救いだ。

フランスに帰国したジャックはアントワーヌを訪ねる。兄の家では、医者仲間のスチュドレル、ロワ、ジェスランたちが戦争について議論を戦わせていた。戦争だけは絶対にやってはならないというジャックに、ロワは「敵に攻めこまれて国土を占領されても?」と皮肉を浴びせる。すぐさまドイツに、ムーズ県だのノール県だの、いろいろあげたらどうですか。ドイツが欲しがっている海への出口も添えたらどうでしょうかと。
このことばにジャックは反撃する。

労働者や鉱夫たちの大部分は、そうすることによって彼らのみじめな生活を本質的に変えられるでしょうか?そして、彼らにたずねてみたとしたら、大部分のものが、戦場での名誉の戦死などより、そのほうがいいとは言いますまいか?(P196)


僕にはよくわかっているんです。あなたは、戦争と平和とを、国家生活における正常的な振子の運動のように考えておいでです・・・おそろしいことです!・・・そうした非人間的な振子の運動、それを絶対にとまらせなければ!(中略)戦争は、何ひとつ、人間の生活問題を解決しません!何ひとつ!それは、働くもののみじめな状態を、さらにはげしくするだけなのです!(P196)

 国民の大多数は戦争なんてやりたくないと思っている。そうした個人の主張を犠牲にして、「何の名において」、国民に服従を強いなければならないのだろうか。
すると、アントワーヌが言うのだ。「社会契約の名において」と。

われらは、個人としては、弱く、孤立していて、何も持っていないんだ。われらの力にしても   われらの力の大部分、そして、われらがそうした力を有効につかわせてもらえているというのも   それは、われらをまとめ、われらの活動力に秩序をあたえてくれている社会的集団のおかげなんだ。(P204)


われらはすべて国家的共同体の一員だ。(中略)これは好ききらいの問題ではない。事実の問題なんだ・・・今後人間にして社会生活をつづけていくかぎり、そうした社会にたいし、かって気ままに自分たちの義務から解放されようなどと考えることはゆるされないんだ。自分たちを保護してくれ、自分たちをその恩沢に浴させていてくれるそうした社会にたいして(P204)

 国家は個人を守ってくれる。権利だけ享受しておいて、都合のいいときだけ「義務を果たすのはいやだ」はないだろう、という理屈だ。
ジャックは徴兵拒否する心づもりだと告げる。しかしこの本を読むと、徴兵拒否はかなりの勇気がいることがわかる。政府に要注意人物としてマークされる恐ろしさもあるが、それよりも、自分の肉親や友人に責められることの方がつらい。一度戦争に傾いたら、「普通の」人間は従わざるを得なくなってしまうのだ。

そして、最後の頼みの綱のジョーレスもジャックの目の前で凶弾に倒れてしまう。(ちなみに、反戦派の希望であったジョーレスが凶弾に倒れたのは史実だ。)

それはフランスに動員令が発令される前日のことだった。


(第11巻につづく)

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

「第一次世界大戦はどうしても避けられなかったのか?」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(9)一九一四年夏Ⅱ』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(9)一九一四年夏Ⅱ』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20170826133418j:plain

この本を読むと、どうしてもこう問いかけずにはいられない。第一次世界大戦はどうしても避けられなかったのだろうか。避けられたとすれば、どのような手立てがあったのだろうか。『チボー家の人々』は常に民衆目線で当時の様子が書かれている。彼らは「戦争なんて起きるわけないじゃないか」とかなり楽観的だった。戦争なんて他人事だった。おまけにフランス人の多くは戦争を望んでいなかった。

そんな彼らがいつの間にか戦争に巻き込まれてしまう。巻き込まれてしまったら出られない。「戦うのは国民の義務だ」と気持ちを切り替えるしかない。戦争を望んでいない普通の人々がどのように戦争に巻き込まれてしまうか、この本を読むとリアルに伝わってくる。

 

9.一九一四年夏Ⅱ
チボー家の人々』第9巻のあらすじを紹介する。

ピストル自殺をはかったジェローム。彼はオーストリアのある会社に名義貸しをしたのだが、その会社が破産してしまい、債権者たちから訴えられてしまう。彼は遺書を残して自殺を試みたのだ。意識不明のジェロームが運び込まれた病院で、ジャックとジェンニーは思いがけず再会することになる。何も説明せずにフランスから忽然と消えてしまったジャック。ジャックがいなくなったことで、体調を崩してしまったジェンニー。ふたりの間に気まずい空気が流れ、お互いよそよそしくふるまう。
結局、ジェロームは数日後に死んだ。女好きのジェロームにあらゆる苦難をなめさせられたフォンタナン夫人は、つかの間の安らぎを感じる。そして、夫が残した破産問題の後始末をつけに、オーストリアへ行こうと決意するのだった。

一方、フランス左翼新聞の『ユマニテ』社では、ジャックをはじめとする社会主義者の仲間たちが、ヨーロッパの情勢について議論を交わしていた。サラエボ事件は世界戦争に発展してしまうのか?戦争を引き起こさないためにはどうしたらいいのか?
オーストリアセルビア最後通牒を突き付けていた。つまり、「自分たちの条件を受け入れないなら、戦争をする」という通告だ。期限は48時間という極めて短いものであり、提示された条件もかなり厳しいものだった。ロシアは期限延長するよう、オーストリアに求める。しかし、オーストリアはロシアの仲介をはねのけてしまう。実はオーストリアは戦争を望んでいたのだ。


戦争をやめさせるには、民衆が立ち上がるしかない。国家、民族を越えて、世界中の労働者や社会主義者が団結し、大規模な反戦デモやゼネストを起こせば、お偉方が戦争をやりたくてもやれないだろう。プロレタリアートよ、団結せよ。ジャックは「インターナショナル」の力を特に強く信じていた。革命による社会変革もいいが、今は戦争を回避することが一番大切だ、と。ジャックは絶対平和主義者なのだ。

父親の葬儀も終わり、ダニエルが任地に戻る日がやってきた。ジャックはダニエルを駅まで見送りにいく。インターナショナルの活動が頓挫すれば、ダニエルの命も危険にさらされるだろう。「戦争にはならない」と、ジャックはダニエルに力強く宣言する。
ところが、「ジェンニーが来てるんだ」というダニエルの思いがけないことばにジャックは動揺する。振りむくとそこにジェンニーの姿があった。ジェンニーも兄の前でジャックを無視するわけにはいかず、目を合わせずに頭を下げる。ジャックは「じゃあ、失敬」と、逃げるようにその場を立ち去る。
ところが、駅を出た瞬間、不思議な力が彼を立ち止まらせる。運命が与えてくれるものを拒んでいいのだろうか。素晴らしい機会を永久に取り逃がしてしまっていいのだろうか。ジャックは踵を返し、駅に戻るのである。
ダニエルを乗せた列車は行ってしまった。兄と別れたジェンニーがこちらに向かってやってくる。ジェンニーはジャックの姿が目に入ると、恐怖の表情を浮かべ、そのまま顔を合わせないように出口の方に向かう。ジャックは「話したいことがあるんだ!」とジェンニーを追う。「いや!」「話があるんだ!」「行ってちょうだい!」と、ここからふたりの追いかけっこが始まる。追いかけて、追いかけて、追いかけて、ジャックはついに叫ぶ。
「ジェンニー、ゆるして!」
ジェンニーはそこで立ち止まる。互いに必要だと感じているのに、逃げたりはぐらかしていたりしていたふたりは、この場面から真に打ち解け合うのだった。

セルビアはついに、オーストリア最後通牒を受け入れた。国家主義団体《ノロードニャ・オブラーニャ》を解散させることや、反オーストリア活動をした疑いのある将校を軍隊から追放すること、などなど。しかし、誰を被疑者とするか審議する法廷の構成(法廷にオーストリアを入れるか入れないかという問題)だけは保留事項にしてほしい。つまり、セルビアはほとんど屈服に近い態度に出た。

ところが、この「保留事項」がオーストリアは気に食わない。結局、交渉は決裂した。オーストリアは初めから「戦争ありき」だったのだ。
セルビアオーストリアにここまで譲歩したというのに・・・ここで戦争を食い止める手立てはなかったのだろうか。

アントワーヌの治療を受けている外交官のリュメルは、人々の前では「戦争にはならない」と楽観論をぶちまける。しかし、アントワーヌには本音を漏らす。「世論を準備させておかなければ」と。情報を細工すれば、世論は思うように振り向けられる。
セルビアオーストリアが開戦すれば、セルビア擁護のためにロシアは動員令を発動する。ドイツはオーストリアとの条約に従って動員令を発動する。露仏同盟により、フランスも動員令を発動することになる。もう実際に各国は戦争準備を着々と進めているというのだ。動員の必要などないと確信の持てる国などどこにもないと。

第一次世界大戦は各国が「約束」を固く守ったがために、ドミノ倒しのような形で起こっていくのである。


(第10巻につづく)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

「なぜ第一次世界大戦は起きたのか。当時のヨーロッパの雰囲気がわかるノーベル賞受賞作品」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20170814163643j:plain

チボー家の人々』の「一九一四年夏」シリーズは、1937年にノーベル文学賞が与えられた作品だ。これを読むと、民衆目線でとらえた第一次世界大戦前前夜の雰囲気がわかる。「オーストリアセルビア?勝手に喧嘩してろ」と、まるで他人事のようにのんびり構えていた一般市民がとても多かったことがわかる。そして気が付いたときには、自分たちが巻き込まれているのだ。

1914年6月28日サラエボで、オーストリア次期皇帝フランツ・フェルディナントがセルビア人青年に暗殺された事件。この事件がなぜ、どのようにして人類史上初の世界大戦へとつながったのか?この悲惨な世界戦争はどうしても避けられなかったのだろうか?

そして、ジャックとアントワーヌの運命はどうなるのだろうか。

8.一九一四年夏Ⅰ
チボー家の人々』第8巻のあらすじを紹介する。ジャックは24歳。アントワーヌは33歳だ。
ジャックはスイスのジュネーブで新聞社や雑誌社に寄稿することで生計をたてつつ、世界各国からやってきた社会主義者たちの集う「本部」に足しげく通っている。「本部」の中心人物はオーストリア出身のメネストレルだ。彼らは世界中に情報網を持っており、政治や社会の動向には敏感だ。「本部」は、彼らが革命についてさまざまな意見をぶつけ合うサロンのような場所だ。


そんなある日、「本部」にもたらされた「オーストリアの《政治的暗殺事件》」の一報に彼らは衝撃を受ける。「もしこのままにしておけば、二、三カ月たたないうちにおそらく全ヨーロッパは戦争になる」と戦々恐々だ。なぜこの事件がそれほど重大なのか?

「(オーストリア皇太子が)セルビア人に    スラヴ人に殺されたからだ」(P139)

これは、セルビアの後押しをするロシアの汎スラヴ主義とオーストリア・ハンガリー帝国汎ゲルマン主義の対立なのだ。オーストリアセルビアを攻撃すれば、ロシアが黙っていない。ロシアの参戦はドイツの動員につながり、そうなればフランスも参戦することになり・・・と、各国が律儀に同盟を守ることによって、ドミノ倒しのように戦火は世界中に広がるだろう。

キーマンはドイツだ。ドイツがオーストリアの後押しをしなければ、オーストリアは戦争に打って出ることはない。ドイツが味方をしてくれなければ、オーストリアに勝ち目はないからだ。
「世界中でゼネストをやるんだ!」と、ジャックたちは沸き立つ。労働者たちが団結してストを起こせば、戦争は避けられるはずだ。ところが革命家集団たちは一枚岩ではない。指導者のメネストレルが、必ずしも戦争に反対ではないからだ。彼は決して口に出さないが、革命を起こすには戦争や経済危機などの混乱が必要だと考えている。すべてを破壊しつくし、世界をまっさらな更地にリセットする必要があるというのがメネストレルの考えだ。メネストレルの恋人のアルフレダは「この人にはただ革命があるだけなんだ」と呆然とする。

メネストレルの指令を受け、ジャックは情報収集のためにパリへ行く。ついでに兄のアントワーヌに会っておこうと思い立ち、自分の生まれ育った家に帰るのだが、そこは「A・オスカール・チボー研究室」として生まれ変わっていた。アントワーヌは父親の遺産をふんだんに使い、自宅を「病院および小児病理学研究所」に改築して資金のない若い医者たちをサポートすると共に、研究室の助手として使っていたのだった。アントワーヌは精力的に日々の生活を楽しんでいた。戦争に巻き込まれることなどこれっぽっちも考えていない。一方、ジャックは、これっぽっちも戦争に対する危機感を抱いていない兄の姿に愕然としてしまう。
食事をしながら繰り広げられるふたりの論争は、この巻のハイライトだ。資本主義とはなにか。資本主義の何が問題なのか。ここはものすごく長いので、ジャックが挙げていた問題点をふたつだけあげておく。


1.あらゆる価値がカネでしか測れない世界の是非について。

以下はジャックの発言だ。

そこでは、すべての価値はみんなまがいものであり、人格の尊重なんてことはまったくかえりみられず、ただ利益だけが唯一の原動力であり、すべての人々が金持ちになるということだけを夢に描いている世界なんだ!(P249)

2.資本家は利益を資本として投じる。それは雪だるま式に膨れ上がっていく。かくして格差はどんどん広がっていく。これは大問題ではないだろうか。

もっともおそるべき不義は、つぎの事実、すなわち、金銭は、それを所有している者のために働くという点、しかも、金銭は、その所有者が指一本動かす必要もなしに、ひとりでに働くものという点に存するのだ!(P258)

ジャックは、父親の遺産を放棄している。チボー氏は莫大な財産を息子たちに残したであろうに、それをびた一文受け取る意思がないというから苛烈だ。(人の良いアントワーヌは、こっそりとジャックの分け前を管財人に管理してもらっているのだが)いったいこのカネはどこからやってきたのか?ましてや自分が汗水たらして得たわけではない財産だ。
ジャックによれば、革命によって労働者が政治的権力を握れば、労働者が基礎的条件を変える社会が実現するという。人間が人間を搾取するようなことがない社会。


しかし、アントワーヌはジャックに強烈な一撃を与える。

おれの知りたいと思うのは、その新しい社会を打ち立てるにあたっての問題だ。おれは結局むだぼね折りに終わるだろうと思っている。というわけは、再建にあたっては、つねに基礎的要素が存在する。そして、そうした本質的な要素には変わりがない。すなわち、人の本性がそれなのだ!(P268)

このことばに、ジャックは思わず絶句してしまうのだ。
たとえ理想的な社会を作り上げたとしても、人間の本性は変わらない。他人よりも得をしてやろうとか、見栄を張るところとか、他人よりも優位に立ちたいと思うところとか、こういう人間の本性は絶対になおらない。こんなどうしようもない人間が作り上げる理想的な社会なんて、やはりたかが知れているのではないか?
アントワーヌの考えははっきりしている。政治は政治の専門家に任せればいい。自分は医者として目の前の仕事を誠実にこなすことしかできないし、それをやるべきなのだ。これはこれで筋が通っている。
ジャックとアントワーヌは正反対の考え方だ。アントワーヌの地に足をつけた生き方は正しい。しかし、明日にでも戦争に巻き込まれるかもしれないというのっぴきならない状況の場合、少しでも戦争回避の方策を考えるべきではないだろうかというジャックの考え方も正しい。

さて、チボー兄弟が食事を済ませたころ、ひとりの女性がやってくる。フォンタナン家のあるじ、ジェロームが拳銃自殺をはかって意識不明の重体だというのだ。アントワーヌを呼びに来たのはジェンニーだった。思いがけず対峙することになったジャックとジェンニーは、互いに驚きの色を隠せない。

このあと、もともとお互い恋愛感情を抱いていた彼らの距離も、一気に縮まることになる。
(第9巻につづく)

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

「死ぬのはこんなにも大変なことなのか?」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(7)ー父の死ー』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(7)ー父の死ー』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20170801153852j:plain

人は誰でも死ぬ。死ぬときは安らかに眠るように死んでいきたいものだが、思い通りにいくとは限らない。チボー氏の最期は苦痛に満ちた地獄絵そのものとなってしまう。周囲の人間は「はやく終わって!」と祈るばかりだ。これは本音だろう。ところが人はなかなか死ねないのだ。

7.父の死
チボー家の人々』第7巻のあらすじを紹介する。
チボー氏は尿毒症の発作に襲われ、耐えがたい激痛に七転八倒する。ヴェカール司祭は死の恐怖を和らげようと穏やかに話をするが、チボー氏の頭の中は「生きていたい!」という思いしかない。利己主義と虚栄心の中に生きていたことを自覚したチボー氏は、すべてをやり直したいと願うのだ。しかし、今更それはかなわない。
ジャックがアントワーヌとともに家に到着したのは、チボー氏は激痛のためにベッドで大暴れをしていた時だった。やっと神経発作が収まったとき、ジャックはチボー氏に声をかける。ここでふたりはやっと和解らしきものをするのである。

ジャックは、手首に力を入れながらからだを起こした。そして、咽喉を締めつけられながら、機械的に、つぶやくように言った。
「お父さん?・・・え?・・・お父さん、いかがです?」
チボー氏のまぶたは、ゆっくりおろされた。気がつくかつかないくらいのふるえが、その下唇とあごひげとを動かした。つづいて、次第次第にはげしさを加えるふるえが、顔を、肩を、上半身をゆりあげた。父はむせび泣いていたのだった。(P42-43)

 排泄が止まったため、アントワーヌはモルヒネ投与をやめた。モルヒネを打てば、父親を殺すことになる。だが父親の苦痛はますます激しくなるばかりだ。顔は真っ赤になり、目は裏返しになり、四肢は硬直し、身体は弓なりになっている。翌日、病人の顔はけいれんとむくみで全く変わってしまっていた。気分転換になるならと、みんなで力を合わせて入浴をさせてやるが、チボー氏の安息は長くはもたない。チボー氏の看護には、アントワーヌとジャックをはじめ、看護婦や女中たちや秘書がかわるがわる交代であたるが、みんなへとへとである。いつまでこの状態が続くのか?呼吸発作に襲われる。目は眼窩から半分出ている。苦痛で狂乱状態になるチボー氏の手足に、みんなでしがみつかなければならない。この地獄絵はいつまで続くのか?


ついにジャックが声をあげる。「兄さん、なんとか考えてくれないか!」と。アントワーヌは決断する。彼らは父親にモルヒネを打ち、安楽死させることを選ぶのだ。
父親の臨終後、アントワーヌは「おれがやったんだ」と心に繰り返す。そして「いいことをした」とも思うのである。彼は、安楽死を患者にもたらすことは絶対に踏み越えてはならない医者の掟であることを知っている。その掟を意識して踏み越えた自分を、アントワーヌはあえて是認する。そうするしかなかったのだ。

その後、アントワーヌは父親の遺言書に目を通す。なんと遺言書には、妹同然に育ったジゼールをはじめ、女中たち、家番、別荘の植木屋、誰一人として書き忘れられてはいなかった。あの強欲な老人が?アントワーヌはチボー氏の寛容さに驚く。
さらに、残された書類の中には、彼が9歳のときに亡くなった母親と、若かりしチボー氏が交わした愛情あふれる手紙も残されていた。また、チボー氏のメモ書きによれば、母親が亡くなってから6年後、恋心を抱いた女性がいたらしい。

父親には息子にもわからぬ一面があった。アントワーヌは「ひとりの人の一生には、世間の人にはわからないほどの大きさがあるのだ」と思うのだった。

チボー氏の葬儀はクルーイで盛大に行われた。参列者はチボー氏の同僚や、慈善団体の代表者たち。近親者はアントワーヌだけだ。(親戚はパリの葬儀の方に出たらしい。葬儀を二回もやったのだろうか?)
ジャックはその日、午前中を家の中で過ごしていた。だが、突然じっとしていられなくなり、クルーイ行きの列車に乗り込む。葬儀が終わっていれば、自分を知っている人間と鉢合わせする恐れがなくなるからだ。
クルーイに降り立ったジャックは、花輪が高く積まれている墓の前に立つ。そして、さまざまな感情に胸をかき乱される。 

彼は、若き日の自分を少しずつ毒していった怒りの気持ちのこと、侮蔑や憎悪の気持ちのこと、復讐や希望のことなどを思いおこした。いく度となくはねかえるたまのように、いままで忘れていたさまざまなことが思いだされて、それに心を刺しつらぬかれた。彼は、しばらくのあいだ、あらゆる恨みを忘れ、子たるものの本能にかえって、父の死にたいして涙を流していた。(中略)
だが、いつも物事をま正面からながめずにはいられない彼は、こうした悲しみ、こうした悔恨のもつ不条理を、たちまち見破られずにはいられなかった。彼ははっきり、もし父にしてこのうえ長く生きていたら、おそらく自分として彼を憎み、ふたたび逃げだしたであろうことを知っていた。(中略)彼は、何かしらはっきりしないこと・・・もしそうであってくれたらといったようなことを考えながら、それをざんねんに思っていた。彼は一瞬、柔和な、寛容な、理解力のある父さえも想像していた。そして、そうした慈愛深い父にたいし、一点非の打ちどころのない息子になれなかった自分を、ざんねんに思ってもみたかった。(P210-211)

 アントワーヌは父を愛していなかったし、ジャックも父を愛していなかった。彼らは決して分かり合えることはなかった。ところがこの親子は分かちがたい絆で結ばれている。チボー氏の死に対して、心の底から涙を流したのは、父親を愛していないはずのアントワーヌとジャックのふたりだけだったのだ。親子の間には好きだとか嫌いだとかいう感情を超えた何かがあるのだろう。

第8巻はいよいよ第一次世界大戦を前にして、フランスの人々が緊張感に包まれる様子が描かれる。アントワーヌは相変わらず医者としての義務を淡々とこなす日々を送っている。一方ジャックはジュネーブの革命家集団の一員として、今にも起こりそうな世界戦争をなんとか避けることはできないかと、徐々に焦りを募らせていく。

戦争はもう目の前だ。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

「人は、すべての過去に結びつけられている。」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(6)ーラ・ソレリーナー』(山内義雄訳) 

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(6)ーラ・ソレリーナー』(山内義雄訳)

f:id:kodairaponta:20170721141423j:plain

行方不明のジャックは、「ラ・ソレリーナ」(イタリア語で「妹」)という小説を変名で雑誌に発表していた。その雑誌からアントワーヌはジャックがスイスのローザンヌにいることをつきとめる。ジャックが行方不明になってからすでに3年の月日がたっていた。アントワーヌ32歳、ジャック23歳だ。

6.ラ・ソレリーナ
チボー家の人々』第6巻のあらすじを紹介する。
チボー家の大黒柱チボー氏は、癌のために激痛に苦しめられ、次第に気弱になっていく。権力と名誉と金を手に入れ傲慢だった以前の面影はなく、今では家政婦のおばさんに、子供のように歌を歌ってもらうことを楽しみにしているひとりの老人にすぎない。
チボー氏はある日、アントワーヌに向かって、行方不明のジャックのことを口にする。チボー氏はジャックが自殺したと思い込んでいるのだ。

そのほか、まだ言っておきたいことがある。ジャックの死んだことについてなのだ。かわいそうなやつだった・・・このわしは、為すべきことをすっかりしてやっただろうか?・・・わしは、厳格にしてやろうと思った。そして、あまりにも峻厳にすぎたのだった。おお主よ、わたくしは認めます、わたくしは子供にたいしてあまりにも峻厳にすぎました・・・わたくしは、ついぞ子供から信頼を得ることができませんでした・・・(P39)

そして「わしは息子を守ってやれなかった!自殺したのはユグノープロテスタント)のしわざだ。あいつらがそそのかしたんだ!」とフォンタナン一家をなじるのである。


そんなある日、アントワーヌの家に一通の手紙が届く。あて名はなんと「ジャック・チボー殿」だ。差出人は大学教授で詩人のジャクリール。手紙の内容は、ジャックの書いた小説に対するジャクリールの感想だった。ジャックは生きていて、どこかで小説を書いているのだろうか?手がかりをつかむべく、アントワーヌは早速、ジャクリール教授に会いに行く。
ジャクリールはアントワーヌに、スイスで刊行されている一冊の雑誌を提示する。その中に掲載されていた作品『ラ・ソレリーナ』。作者はジャック・ボーチー。ジャクリールはジャックが書いたものだと推測し、アントワーヌの家に感想を書き送ったのだ。
アントワーヌは、『ラ・ソレリーナ』をジャクリールに借り、ビアホールで読みふける。それは小説の形をとった「実話」であった。ジウゼッペというイタリア人が主人公だが、どう考えても、これはジャック本人のことだ。プロテスタントのイギリス人女性、シビルとの恋。シビルとはジェンニーのことだろう。ダニエルやフォンタナン夫人を思わせる登場人物も出てくる。
チボー氏を思わせる人物、セレーニョに対しては辛辣な書きっぷりだ。

そうだ、憎悪と反抗と。ジウゼッペの過去はこれに尽きる。彼にして若かりし日を思うとき、復讐の気持ちが燃えあがる。きわめて幼いじぶんから、彼のあらゆる本能は、それが形を取るにしたがい、すべては父にたいする戦いだった。(P85)

アントワーヌは現在の気弱な老人でしかないチボー氏の姿を思い浮かべ、なにかやりきれない気持ちになってしまう。一方、自分のことはどう書いてあるのかと気になって探すと、ジウゼッペの兄らしき人物も登場する。彼は「毒にもならない話ばかりしている」のである。当時アントワーヌはラシェルに夢中だった。ジャックのことなど眼中になく、腹を割った話もすることがなかったことを思い返し、「俺が悪かったんだ」とアントワーヌは反省する。
ジウゼッペは家出をした理由についても触れられていた。ジウゼッペはシビルとの婚約を父親のセレーニョに告白した。ところがプロテスタントとの付き合いを認めない父親と大喧嘩になり、彼は「自殺してやる!」と家を飛び出したのである。
『ラ・ソレリーナ』には、それ以上にショッキングな出来事が書かれていた。ジウゼッペは実の妹に愛を告白され、肉体関係を結んでしまったというのだ。血のつながりがないとはいえ、チボー兄弟と妹のように暮らしてきたジゼール。この小説はジャックとジゼールが肉体関係を結んでしまったことを意味しているのだろうか。ジゼールに求婚していたアントワーヌは動揺する。
果たしてこれらは本当なのだろうか。

その後、アントワーヌは探偵事務所に依頼して、ジャックの居場所を突き止める。ジャックはスイスのローザンヌで新聞社に記事を書いたり、校正の仕事をしたりして生計をたてていた。そして、とある革命集団の中に居場所を見つけ、みんなの尊敬を集める立場にもなっていた。それは革命の中心人物としてではなく、人の話を虚心坦懐に聞いてくれるという点においてだが。ジャックの周りには革命を志した、さまざまな国籍の若者が集まっていたが、ジャックの知性には一目置いているようだった。
ジャックはアントワーヌがいきなりやってきたので驚き、「なんのご用?」とすっとぼける。「お父さんが危篤なんだ。もう臨終にまがないんだ。それできみを呼びに来たんだ」とアントワーヌは単刀直入に告げる。ジャックは過去がいやおうなしに自分の生活の中に侵入してくるように思われ苦しさを感じるのだが、彼はその日の晩の特急でアントワーヌとともに家に向かうことに応じる。

ジャックは『ラ・ソレリーナ』が実話をもとにしたフィクションだという。ジゼールとジャックが肉体関係を結んだことを疑わせるくだりについても、ジャックははっきりと否定する。「そんなことがあり得ると思う?」。ジャックにとって彼女は妹以外の何者でもないのだ。
チボー氏とジャックが口論をしたのは本当のことらしい。だが、家出の原因はそれだけではない。作家になりたいと考えていたジャックは「エコル・ノルマルで三年間勉強するのはムダなのではないか。真の感情がそらされてしまうのではないか」と思い悩み、ジャクリール教授に相談しに行ったのだという。詩人として、ジャクリールを尊敬していたからだ。
しかし、教授は周囲の青年たちから批判されることを恐れる俗物に過ぎなかった。ジャックは教授を「にせもの」だと見抜いてしまう。相談しにきたのが無駄だったと知り、ジャックは席を立ち玄関に向かう。すると背後からジャクリールの声が聞こえた。「ごらんの通り、わたしはからっぽだ。もうおしまいの人間なのだ」と。ジャクリールはジャックの肩をたたくと、何かにつかれたようにまくしたてる。

わたしに用とおっしゃるのか!なにか助言を?よし、これだ!書物を捨てるがいい。本能のままにやりたまえ!すなわち、ひとつのことを学ぶのだ。(中略)どこかの新聞社にはいる。そして雑報の種をあさる。わかるかな?わたしはけっして狂人じゃない。雑報ですぞ!世間めがけてのダイヴィングだ!きみのあかを落とそうと思えば、これほりほかに道はない。朝から晩まで駆け歩くのだ。事故であろうと、自殺であろうと、訴訟事件、社交界のできごと、淫売宿での警察ざた、どれひとつとして逃してはならない!目をあける!文明の引きずっているすべてのもの、良きも悪しきも、思いもよらないようなもの、二度とあり得ないというようなもの、すべてにしっかり目をあける!そうしたあとで、人間なり、社会なり    またあなた自身なりにたいして、はじめて口がきけるのだ!(P197)

頭で考えるのではなく、からだを通して考える。これはジャックの腑にすとんと落ちたようだ。ジャクリール教授のことばはジャックの背中を押すことになった。

 

ジャックの激しさは、自らの自由を守るために、誰の力も借りようとしないところにある。父親が亡くなった時も、遺産の受け取りを一切拒否している。親の遺産をもらえば、自由が阻害されると感じているからだ。
一方、ジャックは否応なしに過去に縛り付けられている自分を感じていた。家に帰る汽車の中、ジャックはひとつの考えに心を揺さぶられる。

彼はいま、自分がたちまち、われにもあらずこの兄に、終始かわらぬこの友に、さらに進んでは、兄を通じてすべての過去に、結びつけられかけているのを感じた!きのうまで、越えがたいみぞを持っていたのに・・・それが、わずか半日で・・・彼は、こぶしを握り、首をたれ、そのまま口をつぐんでしまった。(P219)

次巻ではついにチボー氏が亡くなる。安らかには死ねず、断末魔の苦しみの末に死んでいく姿が描写される。そこで再び出てくるのは安楽死の問題だ。人の命を守るとか奪うとか「いかなるものの名において」判断することができるのだろうか。

(第7巻につづく)

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村