こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

「なぜ第一次世界大戦は起きたのか。当時のヨーロッパの雰囲気がわかるノーベル賞受賞作品」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』(山内義雄訳)

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チボー家の人々』の「一九一四年夏」シリーズは、1937年にノーベル文学賞が与えられた作品だ。これを読むと、民衆目線でとらえた第一次世界大戦前前夜の雰囲気がわかる。「オーストリアセルビア?勝手に喧嘩してろ」と、まるで他人事のようにのんびり構えていた一般市民がとても多かったことがわかる。そして気が付いたときには、自分たちが巻き込まれているのだ。

1914年6月28日サラエボで、オーストリア次期皇帝フランツ・フェルディナントがセルビア人青年に暗殺された事件。この事件がなぜ、どのようにして人類史上初の世界大戦へとつながったのか?この悲惨な世界戦争はどうしても避けられなかったのだろうか?

そして、ジャックとアントワーヌの運命はどうなるのだろうか。

8.一九一四年夏Ⅰ
チボー家の人々』第8巻のあらすじを紹介する。ジャックは24歳。アントワーヌは33歳だ。
ジャックはスイスのジュネーブで新聞社や雑誌社に寄稿することで生計をたてつつ、世界各国からやってきた社会主義者たちの集う「本部」に足しげく通っている。「本部」の中心人物はオーストリア出身のメネストレルだ。彼らは世界中に情報網を持っており、政治や社会の動向には敏感だ。「本部」は、彼らが革命についてさまざまな意見をぶつけ合うサロンのような場所だ。


そんなある日、「本部」にもたらされた「オーストリアの《政治的暗殺事件》」の一報に彼らは衝撃を受ける。「もしこのままにしておけば、二、三カ月たたないうちにおそらく全ヨーロッパは戦争になる」と戦々恐々だ。なぜこの事件がそれほど重大なのか?

「(オーストリア皇太子が)セルビア人に    スラヴ人に殺されたからだ」(P139)

これは、セルビアの後押しをするロシアの汎スラヴ主義とオーストリア・ハンガリー帝国汎ゲルマン主義の対立なのだ。オーストリアセルビアを攻撃すれば、ロシアが黙っていない。ロシアの参戦はドイツの動員につながり、そうなればフランスも参戦することになり・・・と、各国が律儀に同盟を守ることによって、ドミノ倒しのように戦火は世界中に広がるだろう。

キーマンはドイツだ。ドイツがオーストリアの後押しをしなければ、オーストリアは戦争に打って出ることはない。ドイツが味方をしてくれなければ、オーストリアに勝ち目はないからだ。
「世界中でゼネストをやるんだ!」と、ジャックたちは沸き立つ。労働者たちが団結してストを起こせば、戦争は避けられるはずだ。ところが革命家集団たちは一枚岩ではない。指導者のメネストレルが、必ずしも戦争に反対ではないからだ。彼は決して口に出さないが、革命を起こすには戦争や経済危機などの混乱が必要だと考えている。すべてを破壊しつくし、世界をまっさらな更地にリセットする必要があるというのがメネストレルの考えだ。メネストレルの恋人のアルフレダは「この人にはただ革命があるだけなんだ」と呆然とする。

メネストレルの指令を受け、ジャックは情報収集のためにパリへ行く。ついでに兄のアントワーヌに会っておこうと思い立ち、自分の生まれ育った家に帰るのだが、そこは「A・オスカール・チボー研究室」として生まれ変わっていた。アントワーヌは父親の遺産をふんだんに使い、自宅を「病院および小児病理学研究所」に改築して資金のない若い医者たちをサポートすると共に、研究室の助手として使っていたのだった。アントワーヌは精力的に日々の生活を楽しんでいた。戦争に巻き込まれることなどこれっぽっちも考えていない。一方、ジャックは、これっぽっちも戦争に対する危機感を抱いていない兄の姿に愕然としてしまう。
食事をしながら繰り広げられるふたりの論争は、この巻のハイライトだ。資本主義とはなにか。資本主義の何が問題なのか。ここはものすごく長いので、ジャックが挙げていた問題点をふたつだけあげておく。


1.あらゆる価値がカネでしか測れない世界の是非について。

以下はジャックの発言だ。

そこでは、すべての価値はみんなまがいものであり、人格の尊重なんてことはまったくかえりみられず、ただ利益だけが唯一の原動力であり、すべての人々が金持ちになるということだけを夢に描いている世界なんだ!(P249)

2.資本家は利益を資本として投じる。それは雪だるま式に膨れ上がっていく。かくして格差はどんどん広がっていく。これは大問題ではないだろうか。

もっともおそるべき不義は、つぎの事実、すなわち、金銭は、それを所有している者のために働くという点、しかも、金銭は、その所有者が指一本動かす必要もなしに、ひとりでに働くものという点に存するのだ!(P258)

ジャックは、父親の遺産を放棄している。チボー氏は莫大な財産を息子たちに残したであろうに、それをびた一文受け取る意思がないというから苛烈だ。(人の良いアントワーヌは、こっそりとジャックの分け前を管財人に管理してもらっているのだが)いったいこのカネはどこからやってきたのか?ましてや自分が汗水たらして得たわけではない財産だ。
ジャックによれば、革命によって労働者が政治的権力を握れば、労働者が基礎的条件を変える社会が実現するという。人間が人間を搾取するようなことがない社会。


しかし、アントワーヌはジャックに強烈な一撃を与える。

おれの知りたいと思うのは、その新しい社会を打ち立てるにあたっての問題だ。おれは結局むだぼね折りに終わるだろうと思っている。というわけは、再建にあたっては、つねに基礎的要素が存在する。そして、そうした本質的な要素には変わりがない。すなわち、人の本性がそれなのだ!(P268)

このことばに、ジャックは思わず絶句してしまうのだ。
たとえ理想的な社会を作り上げたとしても、人間の本性は変わらない。他人よりも得をしてやろうとか、見栄を張るところとか、他人よりも優位に立ちたいと思うところとか、こういう人間の本性は絶対になおらない。こんなどうしようもない人間が作り上げる理想的な社会なんて、やはりたかが知れているのではないか?
アントワーヌの考えははっきりしている。政治は政治の専門家に任せればいい。自分は医者として目の前の仕事を誠実にこなすことしかできないし、それをやるべきなのだ。これはこれで筋が通っている。
ジャックとアントワーヌは正反対の考え方だ。アントワーヌの地に足をつけた生き方は正しい。しかし、明日にでも戦争に巻き込まれるかもしれないというのっぴきならない状況の場合、少しでも戦争回避の方策を考えるべきではないだろうかというジャックの考え方も正しい。

さて、チボー兄弟が食事を済ませたころ、ひとりの女性がやってくる。フォンタナン家のあるじ、ジェロームが拳銃自殺をはかって意識不明の重体だというのだ。アントワーヌを呼びに来たのはジェンニーだった。思いがけず対峙することになったジャックとジェンニーは、互いに驚きの色を隠せない。

このあと、もともとお互い恋愛感情を抱いていた彼らの距離も、一気に縮まることになる。
(第9巻につづく)

 

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「死ぬのはこんなにも大変なことなのか?」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(7)ー父の死ー』

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(7)ー父の死ー』(山内義雄訳)

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人は誰でも死ぬ。死ぬときは安らかに眠るように死んでいきたいものだが、思い通りにいくとは限らない。チボー氏の最期は苦痛に満ちた地獄絵そのものとなってしまう。周囲の人間は「はやく終わって!」と祈るばかりだ。これは本音だろう。ところが人はなかなか死ねないのだ。

7.父の死
チボー家の人々』第7巻のあらすじを紹介する。
チボー氏は尿毒症の発作に襲われ、耐えがたい激痛に七転八倒する。ヴェカール司祭は死の恐怖を和らげようと穏やかに話をするが、チボー氏の頭の中は「生きていたい!」という思いしかない。利己主義と虚栄心の中に生きていたことを自覚したチボー氏は、すべてをやり直したいと願うのだ。しかし、今更それはかなわない。
ジャックがアントワーヌとともに家に到着したのは、チボー氏は激痛のためにベッドで大暴れをしていた時だった。やっと神経発作が収まったとき、ジャックはチボー氏に声をかける。ここでふたりはやっと和解らしきものをするのである。

ジャックは、手首に力を入れながらからだを起こした。そして、咽喉を締めつけられながら、機械的に、つぶやくように言った。
「お父さん?・・・え?・・・お父さん、いかがです?」
チボー氏のまぶたは、ゆっくりおろされた。気がつくかつかないくらいのふるえが、その下唇とあごひげとを動かした。つづいて、次第次第にはげしさを加えるふるえが、顔を、肩を、上半身をゆりあげた。父はむせび泣いていたのだった。(P42-43)

 排泄が止まったため、アントワーヌはモルヒネ投与をやめた。モルヒネを打てば、父親を殺すことになる。だが父親の苦痛はますます激しくなるばかりだ。顔は真っ赤になり、目は裏返しになり、四肢は硬直し、身体は弓なりになっている。翌日、病人の顔はけいれんとむくみで全く変わってしまっていた。気分転換になるならと、みんなで力を合わせて入浴をさせてやるが、チボー氏の安息は長くはもたない。チボー氏の看護には、アントワーヌとジャックをはじめ、看護婦や女中たちや秘書がかわるがわる交代であたるが、みんなへとへとである。いつまでこの状態が続くのか?呼吸発作に襲われる。目は眼窩から半分出ている。苦痛で狂乱状態になるチボー氏の手足に、みんなでしがみつかなければならない。この地獄絵はいつまで続くのか?


ついにジャックが声をあげる。「兄さん、なんとか考えてくれないか!」と。アントワーヌは決断する。彼らは父親にモルヒネを打ち、安楽死させることを選ぶのだ。
父親の臨終後、アントワーヌは「おれがやったんだ」と心に繰り返す。そして「いいことをした」とも思うのである。彼は、安楽死を患者にもたらすことは絶対に踏み越えてはならない医者の掟であることを知っている。その掟を意識して踏み越えた自分を、アントワーヌはあえて是認する。そうするしかなかったのだ。

その後、アントワーヌは父親の遺言書に目を通す。なんと遺言書には、妹同然に育ったジゼールをはじめ、女中たち、家番、別荘の植木屋、誰一人として書き忘れられてはいなかった。あの強欲な老人が?アントワーヌはチボー氏の寛容さに驚く。
さらに、残された書類の中には、彼が9歳のときに亡くなった母親と、若かりしチボー氏が交わした愛情あふれる手紙も残されていた。また、チボー氏のメモ書きによれば、母親が亡くなってから6年後、恋心を抱いた女性がいたらしい。

父親には息子にもわからぬ一面があった。アントワーヌは「ひとりの人の一生には、世間の人にはわからないほどの大きさがあるのだ」と思うのだった。

チボー氏の葬儀はクルーイで盛大に行われた。参列者はチボー氏の同僚や、慈善団体の代表者たち。近親者はアントワーヌだけだ。(親戚はパリの葬儀の方に出たらしい。葬儀を二回もやったのだろうか?)
ジャックはその日、午前中を家の中で過ごしていた。だが、突然じっとしていられなくなり、クルーイ行きの列車に乗り込む。葬儀が終わっていれば、自分を知っている人間と鉢合わせする恐れがなくなるからだ。
クルーイに降り立ったジャックは、花輪が高く積まれている墓の前に立つ。そして、さまざまな感情に胸をかき乱される。 

彼は、若き日の自分を少しずつ毒していった怒りの気持ちのこと、侮蔑や憎悪の気持ちのこと、復讐や希望のことなどを思いおこした。いく度となくはねかえるたまのように、いままで忘れていたさまざまなことが思いだされて、それに心を刺しつらぬかれた。彼は、しばらくのあいだ、あらゆる恨みを忘れ、子たるものの本能にかえって、父の死にたいして涙を流していた。(中略)
だが、いつも物事をま正面からながめずにはいられない彼は、こうした悲しみ、こうした悔恨のもつ不条理を、たちまち見破られずにはいられなかった。彼ははっきり、もし父にしてこのうえ長く生きていたら、おそらく自分として彼を憎み、ふたたび逃げだしたであろうことを知っていた。(中略)彼は、何かしらはっきりしないこと・・・もしそうであってくれたらといったようなことを考えながら、それをざんねんに思っていた。彼は一瞬、柔和な、寛容な、理解力のある父さえも想像していた。そして、そうした慈愛深い父にたいし、一点非の打ちどころのない息子になれなかった自分を、ざんねんに思ってもみたかった。(P210-211)

 アントワーヌは父を愛していなかったし、ジャックも父を愛していなかった。彼らは決して分かり合えることはなかった。ところがこの親子は分かちがたい絆で結ばれている。チボー氏の死に対して、心の底から涙を流したのは、父親を愛していないはずのアントワーヌとジャックのふたりだけだったのだ。親子の間には好きだとか嫌いだとかいう感情を超えた何かがあるのだろう。

第8巻はいよいよ第一次世界大戦を前にして、フランスの人々が緊張感に包まれる様子が描かれる。アントワーヌは相変わらず医者としての義務を淡々とこなす日々を送っている。一方ジャックはジュネーブの革命家集団の一員として、今にも起こりそうな世界戦争をなんとか避けることはできないかと、徐々に焦りを募らせていく。

戦争はもう目の前だ。

 

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「人は、すべての過去に結びつけられている。」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(6)ーラ・ソレリーナー』(山内義雄訳) 

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(6)ーラ・ソレリーナー』(山内義雄訳)

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行方不明のジャックは、「ラ・ソレリーナ」(イタリア語で「妹」)という小説を変名で雑誌に発表していた。その雑誌からアントワーヌはジャックがスイスのローザンヌにいることをつきとめる。ジャックが行方不明になってからすでに3年の月日がたっていた。アントワーヌ32歳、ジャック23歳だ。

6.ラ・ソレリーナ
チボー家の人々』第6巻のあらすじを紹介する。
チボー家の大黒柱チボー氏は、癌のために激痛に苦しめられ、次第に気弱になっていく。権力と名誉と金を手に入れ傲慢だった以前の面影はなく、今では家政婦のおばさんに、子供のように歌を歌ってもらうことを楽しみにしているひとりの老人にすぎない。
チボー氏はある日、アントワーヌに向かって、行方不明のジャックのことを口にする。チボー氏はジャックが自殺したと思い込んでいるのだ。

そのほか、まだ言っておきたいことがある。ジャックの死んだことについてなのだ。かわいそうなやつだった・・・このわしは、為すべきことをすっかりしてやっただろうか?・・・わしは、厳格にしてやろうと思った。そして、あまりにも峻厳にすぎたのだった。おお主よ、わたくしは認めます、わたくしは子供にたいしてあまりにも峻厳にすぎました・・・わたくしは、ついぞ子供から信頼を得ることができませんでした・・・(P39)

そして「わしは息子を守ってやれなかった!自殺したのはユグノープロテスタント)のしわざだ。あいつらがそそのかしたんだ!」とフォンタナン一家をなじるのである。


そんなある日、アントワーヌの家に一通の手紙が届く。あて名はなんと「ジャック・チボー殿」だ。差出人は大学教授で詩人のジャクリール。手紙の内容は、ジャックの書いた小説に対するジャクリールの感想だった。ジャックは生きていて、どこかで小説を書いているのだろうか?手がかりをつかむべく、アントワーヌは早速、ジャクリール教授に会いに行く。
ジャクリールはアントワーヌに、スイスで刊行されている一冊の雑誌を提示する。その中に掲載されていた作品『ラ・ソレリーナ』。作者はジャック・ボーチー。ジャクリールはジャックが書いたものだと推測し、アントワーヌの家に感想を書き送ったのだ。
アントワーヌは、『ラ・ソレリーナ』をジャクリールに借り、ビアホールで読みふける。それは小説の形をとった「実話」であった。ジウゼッペというイタリア人が主人公だが、どう考えても、これはジャック本人のことだ。プロテスタントのイギリス人女性、シビルとの恋。シビルとはジェンニーのことだろう。ダニエルやフォンタナン夫人を思わせる登場人物も出てくる。
チボー氏を思わせる人物、セレーニョに対しては辛辣な書きっぷりだ。

そうだ、憎悪と反抗と。ジウゼッペの過去はこれに尽きる。彼にして若かりし日を思うとき、復讐の気持ちが燃えあがる。きわめて幼いじぶんから、彼のあらゆる本能は、それが形を取るにしたがい、すべては父にたいする戦いだった。(P85)

アントワーヌは現在の気弱な老人でしかないチボー氏の姿を思い浮かべ、なにかやりきれない気持ちになってしまう。一方、自分のことはどう書いてあるのかと気になって探すと、ジウゼッペの兄らしき人物も登場する。彼は「毒にもならない話ばかりしている」のである。当時アントワーヌはラシェルに夢中だった。ジャックのことなど眼中になく、腹を割った話もすることがなかったことを思い返し、「俺が悪かったんだ」とアントワーヌは反省する。
ジウゼッペは家出をした理由についても触れられていた。ジウゼッペはシビルとの婚約を父親のセレーニョに告白した。ところがプロテスタントとの付き合いを認めない父親と大喧嘩になり、彼は「自殺してやる!」と家を飛び出したのである。
『ラ・ソレリーナ』には、それ以上にショッキングな出来事が書かれていた。ジウゼッペは実の妹に愛を告白され、肉体関係を結んでしまったというのだ。血のつながりがないとはいえ、チボー兄弟と妹のように暮らしてきたジゼール。この小説はジャックとジゼールが肉体関係を結んでしまったことを意味しているのだろうか。ジゼールに求婚していたアントワーヌは動揺する。
果たしてこれらは本当なのだろうか。

その後、アントワーヌは探偵事務所に依頼して、ジャックの居場所を突き止める。ジャックはスイスのローザンヌで新聞社に記事を書いたり、校正の仕事をしたりして生計をたてていた。そして、とある革命集団の中に居場所を見つけ、みんなの尊敬を集める立場にもなっていた。それは革命の中心人物としてではなく、人の話を虚心坦懐に聞いてくれるという点においてだが。ジャックの周りには革命を志した、さまざまな国籍の若者が集まっていたが、ジャックの知性には一目置いているようだった。
ジャックはアントワーヌがいきなりやってきたので驚き、「なんのご用?」とすっとぼける。「お父さんが危篤なんだ。もう臨終にまがないんだ。それできみを呼びに来たんだ」とアントワーヌは単刀直入に告げる。ジャックは過去がいやおうなしに自分の生活の中に侵入してくるように思われ苦しさを感じるのだが、彼はその日の晩の特急でアントワーヌとともに家に向かうことに応じる。

ジャックは『ラ・ソレリーナ』が実話をもとにしたフィクションだという。ジゼールとジャックが肉体関係を結んだことを疑わせるくだりについても、ジャックははっきりと否定する。「そんなことがあり得ると思う?」。ジャックにとって彼女は妹以外の何者でもないのだ。
チボー氏とジャックが口論をしたのは本当のことらしい。だが、家出の原因はそれだけではない。作家になりたいと考えていたジャックは「エコル・ノルマルで三年間勉強するのはムダなのではないか。真の感情がそらされてしまうのではないか」と思い悩み、ジャクリール教授に相談しに行ったのだという。詩人として、ジャクリールを尊敬していたからだ。
しかし、教授は周囲の青年たちから批判されることを恐れる俗物に過ぎなかった。ジャックは教授を「にせもの」だと見抜いてしまう。相談しにきたのが無駄だったと知り、ジャックは席を立ち玄関に向かう。すると背後からジャクリールの声が聞こえた。「ごらんの通り、わたしはからっぽだ。もうおしまいの人間なのだ」と。ジャクリールはジャックの肩をたたくと、何かにつかれたようにまくしたてる。

わたしに用とおっしゃるのか!なにか助言を?よし、これだ!書物を捨てるがいい。本能のままにやりたまえ!すなわち、ひとつのことを学ぶのだ。(中略)どこかの新聞社にはいる。そして雑報の種をあさる。わかるかな?わたしはけっして狂人じゃない。雑報ですぞ!世間めがけてのダイヴィングだ!きみのあかを落とそうと思えば、これほりほかに道はない。朝から晩まで駆け歩くのだ。事故であろうと、自殺であろうと、訴訟事件、社交界のできごと、淫売宿での警察ざた、どれひとつとして逃してはならない!目をあける!文明の引きずっているすべてのもの、良きも悪しきも、思いもよらないようなもの、二度とあり得ないというようなもの、すべてにしっかり目をあける!そうしたあとで、人間なり、社会なり    またあなた自身なりにたいして、はじめて口がきけるのだ!(P197)

頭で考えるのではなく、からだを通して考える。これはジャックの腑にすとんと落ちたようだ。ジャクリール教授のことばはジャックの背中を押すことになった。

 

ジャックの激しさは、自らの自由を守るために、誰の力も借りようとしないところにある。父親が亡くなった時も、遺産の受け取りを一切拒否している。親の遺産をもらえば、自由が阻害されると感じているからだ。
一方、ジャックは否応なしに過去に縛り付けられている自分を感じていた。家に帰る汽車の中、ジャックはひとつの考えに心を揺さぶられる。

彼はいま、自分がたちまち、われにもあらずこの兄に、終始かわらぬこの友に、さらに進んでは、兄を通じてすべての過去に、結びつけられかけているのを感じた!きのうまで、越えがたいみぞを持っていたのに・・・それが、わずか半日で・・・彼は、こぶしを握り、首をたれ、そのまま口をつぐんでしまった。(P219)

次巻ではついにチボー氏が亡くなる。安らかには死ねず、断末魔の苦しみの末に死んでいく姿が描写される。そこで再び出てくるのは安楽死の問題だ。人の命を守るとか奪うとか「いかなるものの名において」判断することができるのだろうか。

(第7巻につづく)

 

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「人間の行動や意思決定で、自ら選び取っているものは案外少ない」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(5)ー診察ー』(山内義雄訳)

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(5)ー診察ー』(山内義雄訳)

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時は1913年。第4巻から3年の月日がたった。

32歳になったアントワーヌは医師として充実した日々を過ごしていた。第5巻はそんなアントワーヌのある一日を描写したものとなっている。アントワーヌの自宅兼診療所には、診察を求めて次々と患者が訪れる。この巻に弟のジャックは登場しない。彼は難関エコル・ノルマルに優秀な成績で合格したにもかかわらず、学校には行かず、そのまま行方不明となってしまった。なぜ再び家出をしてしまったのか。その理由はまだ明らかにされていない。

5.診察
チボー家の人々』第5巻のあらすじを紹介する。
上記のとおり、この巻は精力的に働くアントワーヌのある一日を描写したものである。平和な日々。だが翌年には第一次世界大戦が起こり、世界は地獄に突き落とされる。そのことを今は誰も知らない。


アントワーヌが診察した患者を時系列に並べる。
・ロベール(15歳)とその弟(13歳)。ふたりに親はない。弟は印刷工場でこしらえた傷口が悪化してわきの下まではれ上がっている。アントワーヌに診てもらいたい一心で訪ねてきた。アントワーヌは弟の傷口を切開してやり、手当てを施してやる。


・チボー氏。頑迷だったアントワーヌの父親(78歳)は癌に犯され、病床に伏している。看護婦のセリーヌがかいがいしく世話をしてくれている。


・エッケとニコルの娘(2歳)。急性耳炎からさまざまな併発症が起き重体。アントワーヌは、師匠のフィリップ博士とともにエッケの自宅に訪れるが(この娘だけ往診に行っている)、もう助からないと判断する。


・ユゲット(13歳になるかならないか?)。バタンクール夫人の娘。結核の兆候があらわれている。いずれ現れてくるであろう骨格の炎症、カリエス性の脊椎崩壊のことを考えて、向こう何か年かはギプスをはめなければならないだろう。


・リュメル(40歳過ぎ)。外交官。なんの病気かはっきり書いていないが、体にかなりの痛みを抱えている。今まで不和だったドイツとオーストリアが急接近しつつある外交の内情を話す。ヨーロッパ全土は自動的にバルカン紛争に巻き込まれるのではないかというのだ。第一次世界大戦がすぐそこまで迫っていることがさりげなく示される。


・ジゼール(19歳)の部屋。彼女は患者ではない。ジゼールはチボー家の家政婦ヴェーズ嬢の姪っこだ。両親を亡くしたジゼールをヴェーズ嬢はチボー家で育てた。アントワーヌやジャックにとっては妹のような存在だ。
だが、今やアントワーヌはジゼールを女性として意識しており、彼女に求婚している。しかしジャックを愛しているジゼールは首を縦にふらない。ジャックは行方不明になってしまったが、彼女は彼がどこかで生きていると信じているのだ。


・エルンスト氏(60歳くらい?)とその子供。エルンスト氏は、子供の言語障害が、自分が以前かかった梅毒によるものなのではないかと考え、妻にも打ち明けられず、ずっと苦しんでいた。しかし、アントワーヌはエルンスト氏の告白を一笑に付す。親の梅毒が原因で子供が言語障害になることなどあり得ないからだ。「じつにばかばかしい限りです!」というアントワーヌのことばに、エルンスト氏の無限の感謝のまなざしを向ける。アントワーヌに歓喜の感情がわきおこる。


・再び、ロベール少年とその弟。エッケの家に行く途中、彼らの様子を見に行く。弟はすっかり元気になった模様だ。


・エッケの家。2歳の娘は断末魔の苦しみにあえいでいる。エッケ夫人(ニコル)は疲労困憊だ。「なんとか・・・なんとかしてやらなければならん。このまま苦しませて何になろう?」。エッケは友人ステュドレルとともに、自分の娘を安楽死させてくれないかとアントワーヌに頼む。
アントワーヌはこの頼みを突っぱねる。しかし、なぜ突っぱねたのかは彼自身にもわからない。自分の選択が何によってなされたのだろうか。アントワーヌは自分自身に問いかけるが、その答えは見つからない。

《おれは生きている》と、彼は考えた。《これこそはひとつの事実だ、言葉をかえて言えば、おれは不断に選択し、行動している。よし、だが、ここからやみがはじまっている。すなわち、その選択なり、その行動なり、それははたして何の名によってなされるのか?》(P141-142)

 

・アントワーヌ、自宅に帰宅する。台所では、雌猫が絶望的な声で鳴いていた。彼は今朝、家番の息子レオンと交わした会話を思い出す。雌猫が7匹も子猫を生んだ。1匹は姉が欲しがっているという。だが、あとの6匹は・・・。
アントワーヌは、くずかごの中をのぞいてみた。からっぽだった。

《いいか、みんな水につけて殺しちまうんだ》自分がそう言いつけたのではなかったろうか?しかも、これまた生き物にちがいないのだ・・・どこに区別の理由がある?いかなるものの名において?(P153)

何かを決定するとき、それは「いかなるものの名において」なされるのだろうか。人間が自分自身の意志で決定したり選び取ったりしているものは、意外と少ないのではないだろうか。表面上は自分の意志で選び取ったように見えても、実は何ものかに決定させられ選び取らされているのではないだろうか。
アントワーヌの自宅には伝言が届いていた。エッケの娘が亡くなったという。

次巻では、ジャックが何を考えて家を出たのか、手掛かりをつかむことができる。
(第6巻につづく)

 

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「暴力で女を支配する男と、ダメ男ぶりで女を支配する男」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(4)ー美しい季節Ⅱー』(山内義雄訳)

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(4)ー美しい季節Ⅱー』(山内義雄訳)

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4.美しい季節Ⅱ
チボー家の人々』第4巻のあらすじを紹介する。
チボー家の長男アントワーヌは29歳。彼は、父親の秘書シャール氏の娘(血縁関係はないが)に人生初の大手術を施し、命を救うことができた。たまたまアントワーヌの手術の助手を務めたことがラシェルはユダヤ系の美女で26歳だ。この手術が縁で、ふたりは恋に落ちる。ラシェルは、アントワーヌが今まで見たことのない世界に住む女性だった。

ラシェルの半生はかなり特殊だ。彼女には実際のモデルがいるのだろうか?
彼女は天涯孤独といっていい身の上だ。オペラ座で衣装係をしていた父親は日射病で亡くなり、兄もイタリアで溺死した。母親は生きているが、精神病院で暮らしている。
ラシェルと元恋人イルシュは50歳と年が離れており、武器商人だ。イルシュとともにアフリカの国々を旅したときの思い出をラシェルはアントワーヌに話す。イルシュはサディスティックで恐ろしい男だった。
たとえば、ラシェルが川に撃ち落とした鷺を、アフリカの少年に取りに行かせた時の話だ。少年が川に入ったとたんワニに食いつかれ、いきなり川底に引きずり込まれてしまう。イルシュは少年を苦しませないようにと、銃を構え、少年の頭を撃ち抜く。その直後、イルシュは周囲にいた他の黒人少年たちに告げるのだ。「誰か、おれの目覚まし時計をやるから、ラシェルの鳥を取ってきてくれ」と。
アフリカのある部族の女が、姦通の罪により石で打ち殺される現場にも嬉々として出かける。他人の痛みがわからない、異常な男なのだ。
それだけでなく、イルシュは自分の娘と性的関係を持っていた。イルシュの娘クララはラシェルの友人であり、ラシェルの兄の婚約者だった。だがある日、ラシェルは、クララとイルシュの関係に気づいてしまう。クララは父親に犯されることに抵抗するために、自分の兄と結婚したのではないだろうかとラシェルは回想する。しかし、クララが結婚してから3週間目のことだった。イタリアの湖水でクララとラシェルの兄の遺体が発見されたのだ。クララは絞殺、ラシェルの兄は溺死だ。おそらくイルシュとクララの関係に気づいた兄が、クララを絞め殺し、そのまま身投げしたのではないかとラシェルは推測するのだが、イルシュがこの件に絡んでいないとも言い切れない。真相は闇の中だ。
こんな異常な男にラシェルは今でも惹かれているのだ。今まであらかじめ敷かれたレールの上を歩いてきたアントワーヌにとっては、ラシェルの身の上話は驚きの連続だった。

こうした奇怪な身の上話をきかされて、彼はびっくりしつづけていた。思えば自分は、そうした彼女とは全然ちがって、有産階級の家に生まれたこととか、仕事とか希望とか、しゃんと計画を立てている将来とかで、しっかりフランスの土地にくぎづけられてしまっているのだ!彼には、自分を結びつけているそうした鎖がはっきり見えていた。それでいながら、彼は一度も、それを引きちぎろうなどと思ったことはなかった。そして、ラシェルが望んでいるもの、しかも、彼にとってはまったく見ず知らずのあらゆるものにたいして、ちょうど家畜が、あらゆるうろつきまわるもの、住まいの安全をおびやかすものにたいしてもつのとおなじような、一種の敵意を感じていた。(P132)


ラシェルの存在は、予定調和の人生しか歩んでこなかったアントワーヌを変えていく。

そして、彼には、ラシェルと出会うまでのあらゆる人生のできごとが、すべてやみの中に沈もうとしてでもいるかのように思われていた。それらはすべて、《まえ》のできごとだった。(中略)つまり、自分の変わるそのまえなのだ。つまり、彼は、精神的にすっかり変わってしまっていた。まるで鍛え直されたとでもいうようだった。成熟し、同時に、さらに若くなった感じだった。(P136)


自分とはまったく違う世界の人間と出会うことは、その人を成長させる。それも、より密接な恋愛関係の出会いならなおさらだろう。パートナーとの濃密な関係ならば、まったく違う価値観でも素直に受け入れることができる。アントワーヌは異世界の住人ともいえるラシェルをあっさり受け入れるのだ。


しかし、ふたりの別れは唐突にやってくる。イルシュがカサブランカからラシェルを呼び寄せたからだ。ラシェルはイルシュの元へ行かなければならない。どんなに殴られようと、侮辱されようと、刑務所にまで入れられようと、ラシェルはイルシュの魔力にはあらがえないのだ。彼女は自分が「自由」であることを強調していたが、実際はこれっぽっちも自由ではなかったのだ。ふたりは涙ながらに別れることとなる。

なぜ異常な男に魅かれる女がいるのだろうか?

この巻では、フォンタナン夫人が夫のジェロームに、アムステルダムまで電報で呼び寄せられる話も書かれている。ジェロームの愛人のノエミがホテルの一室で死にかけていて、自分ひとりでは手に負えないと泣きついてきたのだ。そして、ノエミが亡くなったあと、ジェロームは当然のようにフォンタナン夫人の元へ戻っていくのである。イルシュがサディストで女を支配する男なら、ジェロームはダメ男ぶりで女を支配する男だ。都合が悪くなれば甘えれば許してくれる。フォンタナン夫妻もかなりいびつな夫婦だといってもいい。

一方、チボー家の弟ジャック(20歳)と、ダニエルの妹ジェンニー(19歳)の距離もぐっと縮まる。彼らはたまたまふたりきりになる機会があったのだが、互いに大真面目な話をするうちに、「ふたりはなんて似ているんだろう」ということに気づくのだ。ジャックと別れた後、ジェンニーは発作のように「あの人とは会いたくない!」とダニエルやフォンタナン夫人に訴える。狂おしいほど好きだというのに、こうした反応をしてしまうところにジェンニーの性格の難しさがある。しかし、ジェンニーを知り尽くすダニエルやフォンタナン夫人は、ジェンニーの本心を悟ってしまうのだ。

エコル・ノルマルという難関校に上位の成績で入ったあと、ジャックはどうなったのか?実は、彼は学校には行かずに行方不明になってしまうのである。「ここではない、どこか」へ脱出する試みは続く。いったい彼はどうなってしまうのだろうか。

(第5巻につづく)

 

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「恋はそれぞれ、その当事者に似る」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(3)ー美しい季節Ⅰー』(山内義雄訳)

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(3)ー美しい季節Ⅰー』(山内義雄訳)

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「恋はそれぞれ、その当事者に似る」は、巻末の店村新次氏の解説による。
ジャックとアントワーヌがふたり暮らしをするようになってから5年がたった。ジャック20歳、アントワーヌ29歳。
「ふたり暮らし」といっても、どうやらふたりは父親と同じ建物に住んでいるらしいのだ。チボー氏は上の階、ジャックとアントワーヌは下の階だ。チボー氏は地元の名士で金持ちなので、ものすごい豪邸に住んでいるのかと思いきや・・・いや、パリに住んでいること自体がすでに金持ちの証しなのかもしれない。

3.美しい季節Ⅰ
チボー家の人々』第3巻のあらすじを紹介する。
少年園を出てからの5年間、ジャックは必死に勉強する。そして、フランス全国の秀才が集う高等師範学校(エコル・ノルマル)に第3位の成績で合格するのだ。友人たちは皆、ジャックを祝福してくれる。しかし、ジャックは喜び半分失望半分の複雑な気持ちを抱えている。彼の胸を支配する思いはいつも「ここじゃないどこかへの脱出」だからだ。

ダニエルたちは、ジャックの合格祝いをしようと「パクメル」というナイト・バーへ繰り出す。親友のダニエルは画家になった。個展を開き、作品に顧客がつくまでになり、美術商リュドウィクスンの出す美術雑誌の仏文欄も手掛けている。ダニエルは父親の血を引いたせいか、女性との付き合いも派手だ。ナイト・バー「パクメル」は、ダニエルが女の子を「お持ち帰り」する社交場なのだ。ジャックはダニエルのことを「美男子だなあ」と見ほれつつも、ダニエル御用達の社交場に居心地の悪さを感じる。

一方、兄アントワーヌの方には一大事が降りかかる。父親の秘書をやっているシャール氏の娘(シャール氏と娘の血のつながりはない。同居している「ばあや」の姪っ子で、シャール氏が娘のようにかわいがっている。)が車にひかれたというのだ。アントワーヌがシャール氏の家に駆け付けると、娘は瀕死の状態だった。すぐに病院へ運び込むことを提案すると、「いやでございますよ」とシャール氏の母親に病院行きを拒絶されてしまう。「私たちはめいめい自分のベッドで死んでいきたいんです。病院なんてまっぴらですよ」というのだ。
しかし、このままでは娘が死んでしまう。アントワーヌは決断する。「仕方がない、ここで手術をしよう」と。
これはアントワーヌの人生初の大手術となった。部屋のあらゆるものを工夫して手術室を作り、彼より一足先に来ていた若い医者や近所の女性を助手にして、テキパキと指示を送る。この手術の描写がとてもリアルなのだ。

そして、アントワーヌは人生初の大手術を成功させたことから、周囲の彼を見る目は180度変わってしまう。先ほどまで頑なな態度を取っていた母親は尊敬のまなざしでアントワーヌを見つめ、助手として頑張ってくれた若い医者はアントワーヌのことを「メートル(大先生)」と敬うようになる。アントワーヌとしても悪い気はしない。
また、同じアパートに住んでいるという縁だけでアントワーヌのにわか助手になってくれた女性・ラシェルはアントワーヌにとって運命の女性となる。彼女はユダヤ系の美女で、今までアントワーヌの周りにいなかったタイプの女性だった。彼は彼女にぐっと惹かれていく。
しかし、自分が自由であることをラシェルは何度も強調する。彼女は何者からも束縛されたくないのだ。

「このあたしは、ぜんぜんおとなしいお友だちとか、気のゆるせる恋人なんかになれる資格はありませんの。あたし、どんなでたらめでもやってのけたいと思っていますの。どんなでたらめでも。そのためには自分が自由でいなければ。だから、あたしは自由でいたいんですの。わかって?」(P160-161)

しかし、アントワーヌはへこんだりはしない。彼は、欲しいものをあきらめた経験がなく、敗北したことがなかった。相手の立場や気持ちがはっきりわかってしまえば、取るべき対策がわかると自信満々なのだ。恋愛の駆け引きですら合理的に考えるところが、アントワーヌの面白いところだ。ふたりは恋に落ちる。

ラシェルと深い関係になったことについて、ジャックに得意げにしゃべるアントワーヌ。しかし、兄の話にジャックは不愉快な気持ちになる。アントワーヌの恋愛に何か純粋でないものを感じてしまうからだ。フォンタナン家に兄と訪れたときも、居心地が悪く、ずっといらいらしっぱなしだ。フォンタナン家に転がり込んできた少女ニコルは、ドクトル・エッケと婚約して幸せいっぱいだし、フォンタナン夫人の人当たりのいいおしゃべりを繰り広げているし、ラシェルとの情事について放埓な打ち明け話をしたアントワーヌは夫人の前では常識的に人当たり良く振舞っているし、そんな彼らを見ていると、ジャックはなぜかいたたまれない気分になってしまうのだ。

だが、ジャックと同じような感性の持ち主がいた。ダニエルの妹、ジェンニーだ。彼女は19歳。ジェンニーはジャックを恨んでいた。かつてジャックはダニエルと家出をした。ジェンニーはジャックが兄を奪ったと、嫉妬心にかられていたのだ。
しかし、第3巻の終わりで、彼らの距離はぐっと近くなる。ジャックはテニスクラブの帰り道、ジェンニーに、自分が立会人となったバタンクールの結婚式の話をする。バタンクールはジャックの友人で、14歳も年上の未亡人で連れ子のいる女性と結婚したのだ。この結婚にバタンクールの家族は反対し、結婚式に親族は誰一人出なかった。祝電すら一通も届かない結婚式だ。バタンクール側の友人はジャックひとりだった。
ジェンニーはこの時のジャックの体験談に真剣に耳を傾ける。そのことに対して、ジャックは「おそらく彼として初めての、そして、きわめて濃厚な喜びの気持ち」を味わうことになる。また、ジェンニーはジェンニーで、ジャックという人間を誤解していたことに気づくのだ。

彼女は、ジャックの眼差しの中に、反感を催させるような粗野な重厚さの見えないこと、しかも、明るい、敏捷な、表情に富んだ彼のひとみが、そのときちょうど、澄みわたった水のように思われたことに気がついた。
《どうしてこの人、いつもこんなでいないのかしら?》と彼女は思った。(中略)そしておそらく、彼にあっても彼女にあっても、その楽しみは、ふたりがたがいにひとりだけでないということから、さらにかき立てられていたにちがいなかった。(P215-216)

 ふたりは似た者同士だった。だが、ジェンニーはどうしても素直になれない。ジャックに興味を持っている素振りさえも見せたくないのだ。誰にも自分の領域に踏み込まれたくないという純情さと頑固さのために、彼女は誰をも寄せ付けることができないのだ。ふたりが近づくにはまだまだ時間がかかりそうだ。

(第4巻につづく)

 

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「ハラハラドキドキの展開。少年園の<特別室>に入れられたジャックに何が起こったのか?」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(2)ー少年園ー』(山内義雄訳)

ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(2)ー少年園ー』(山内義雄訳)

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第2巻はまるでサスペンスだ。感化院の<特別室>に入れられたジャックの様子がおかしい。いったい何が起こっているのか?兄のアントワーヌは感化院にジャックの様子を探りに行くシーンは、ハラハラドキドキさせられる。施設は清潔だし、園長は愛想がよくて親切だ。ジャックの体にも虐待のあとは見られない。しかし、園長のことばの端々ににじみ出る施設の様子や、ジャックの不自然な受け答えから、徐々に施設の実態が明らかになってくる。「アントワーヌよ、頼むから気付いてくれ!ジャックをここから早く救ってやってくれ!」と祈る気持ちにさせられる。まさに息をのむ展開だ。

2.少年園
チボー家の人々』第2巻のあらすじを紹介する。
親友と家出をしたものの連れ戻されたジャック。彼は父親のチボー氏が設立した矯正施設に入れられてしまう。それから9ヶ月たった。ジャックは、感化院の<特別室>の中で一種の監房生活を送っているのだ。この感化院はジャックの父親が「良家の子女のために」作ったものだ。
医者で兄のアントワーヌは、手紙ひとつ寄こさないジャックの身の上を案じる。少年園で、なにか不正なことが行われているような胸騒ぎがしてならないのだ。そこである日、アントワーヌはチボー氏に内緒でジャックに面会しに行くことにした。
このとき、アントワーヌは24歳。ジャックは15歳だ。

アントワーヌを出迎えてくれたのは、園長のフォーム氏だった。愛想がよく親切で、施設を隅々まで案内してくれる。以前ジャックと一緒に散歩を楽しんでいたレオンじいさんも人当たりがいい。ジャックの部屋にも案内された。質素なホテルの一室といったようだが、よく手入れが行き届いていた。部屋は暖められ、洗面器は清潔な布の上に置いてあり、タオル掛けには何本かの清潔なタオルがかかっていた。ジャックの身の回りの世話をしているアルチュールという男が、シーツもなにもかも整えてくれるという。刑務所のようなところを想像していたのだが、それは間違いだったのかもしれない。


ところが、当のジャックの様子がおかしいことにアントワーヌは気づく。久々の対面だというのに、どこか無表情なのだ。目は曇り、まなざしに輝きがない。不満はないかと聞いても「何も」。先生はいい人かと問われれば「とっても」。今の生活に満足しているとジャックは答えるのだが、アントワーヌは胸の中にざわつきを覚える。

アントワーヌは一度は感化院を後にするものの、わざと汽車に乗り遅れ、もう一度感化院に戻ってくるのである。そこでアントワーヌが目にしたものは、人としての尊厳など無視されたジャックの扱われ方だった。

(アントワーヌとフォーム園長の)ふたりは悪いところへ飛びこんだのだった。というのはふたりが廊下へ足を踏み入れるやいなや、アントワーヌには、弟が、園で便所と呼んでいる厠の中に、まる見えになってしゃがみこんでいるのが見えたからだった。戸は、アルチュールの手によってすっかりあけられ、そして、アルチュールは、その戸にもたれながら、パイプをふかしていた。
アントワーヌは、急いで部屋にはいっていった。園長は、もみ手をしながら、悦に入ってでもいるようだった。
「ごらんくださいましたか?」と、大きな声で言った。「お預かりしているお子さんたちは、ああしたところまで監督されておりますので」(P52-53)

部屋の様子もさっきと違う。昼食の膳はテーブルにのったまま。先ほどの清潔なシーツやタオルは影も形もなく、ごわごわのぼろがタオル掛けに引っかかっていた。弟はここで虐待されていたのだ。

 

 アントワーヌは園長の許可を取り、ジャックを午後いっぱい散歩に連れ出す。菓子屋に連れていくと、ジャックはがつがつと菓子をむさぼる。日頃まともな食事にありつけず、飢えていたのだろう。 初めは無表情で、何を聞いても反応が薄かったジャックもやっと普通の会話ができるようになってくる。

ジャックは泣きながら、アントワーヌに施設の実態を告白する。レオンじいさんにわいせつな絵を描かされていること。(レオンじいさんはその絵を売りさばいて小遣い稼ぎをしている。)絵に署名させられているので下手に告発できないこと。賭博場に連れていかれ、レオンじいさんが遊んでいる間、ジャックは洗濯場の中に鍵をかけられ二時間ばかり放置されること。アルチュールはジャックの身の回りの世話をすると称して、実は厳しくジャックを監視していること。先生はろくに勉強なんて教えようとしていないこと。ジャックの衝撃の告白にアントワーヌは驚きを隠せない。

こんなところに弟をこれ以上置いておくわけにはいかない。だが家に連れ帰ってもジャックとチボー氏はうまくやっていけないだろう。そこでアントワーヌは、家を出てジャックとふたりで暮らすことを決心するのだ。ジャックの生活はすべてアントワーヌが監督するという条件付きだ。もちろん勉強もしっかりとしてもらう。
この提案をチボー氏に納得させるにはかなり骨が折れたが、チボー氏の助言者であるヴェカール神父の助けもあって、アントワーヌはジャックを少年園から脱出させることに成功するのである。
チボー氏は、ジャックを少年園へ送った時には「やつの性根をたたきなおしてやるのだ!」と息巻いていたし、少年園からジャックを出すことも大反対する。しかし、久々に家に帰ってきたジャックを見たとき、チボー氏は心が動くのだ。

彼は、ふたりの息子を出迎えた。そして、弟息子をだいてキスしてやった。ジャックは、すすり泣いていた。チボー氏は、その涙の中に、悔恨と、よき決心のしるしを見た。そして、自分でも見せまいと思っていたほどの感動を見せてしまった。(P158)

この父子は近づきたいと思っている。しかし不器用すぎてこれっぽちいもうまくいかない。読んでいて切ない。


チボー氏がどうしても受け入れることができなかったのは、ジャックがフォンタナン家と付き合うことだった。父親にダメだと言われれば言われるほど、ジャックは反発する。フォンタナン家のダニエルはジャックと一緒に家出もした唯一無二の友人なのだ。興奮したジャックは「どうしてもダニエルに会いたいんだ!」と激情にかられてアントワーヌに訴える。訴えるうちに涙まで流すほど感情が高ぶってしまう。
すると アントワーヌは「よし、ぼくがすべてを引き受けよう。おやじにも司祭さんにもないしょでやろう。よかったら、次の日曜日行こうじゃないか」とあっさり承諾してくれるのだ。この時のジャックの戸惑いが面白い。え、今度の日曜?そんなに早く?
というわけだ。

チボー家の人々』では、登場人物の気持ちの揺らぎが実にうまく書かれている。かつて感じたことのある複雑な感情に読者も出会えるはずだ。

一方、フォンタナン家でも事件があった。フォンタナン夫人のもとにニコルという少女が現れる。彼女の母親はフォンタナン夫人のいとこで、フォンタナン夫人の夫ジェロームと不倫関係にあった。ところが母親はジェロームの他に愛人を作り、娘のニコルを置き去りにして愛人と逃げてしまったのだ。ジェロームはニコルにフォンタナン夫人を頼るように言う。慈悲深い夫人はニコルをあっさりと受け入れるのだ。

フォンタナン家を訪れたアントワーヌとジャックは、フォンタナン夫人、ダニエル、ジェンニー、ニコルに会うことになった。ダニエルの妹ジェンニーは14歳。彼女は例の家出事件の全責任がジャックにあると決めつけ、ジャックを恨んでいた。ところがジャックはジェンニーに何か惹かれるものを感じるのだ。

彼は、表情がゆたかな一方、無表情でもある顔のかげ、溌溂としていながらあくまで秘密をもらさない彼女のひとみの奥に、神経的なきまぐれと、ふるえてやまない鋭い感覚とを見てとってしまっていた。彼はふと、こうした少女をもっとよく知ることができ、その閉ざされた心の中に分け入ることができ、あるいはさらに、その友だちになることができたらどんなに愉快だろうと思った。(P229-230)

ジェンニーとの出会いは、ジャックにとって運命の出会いとなるのだ。

一方、ジャックはダニエルに会ったものの、腹を割って話をすることができなくなっていた。まる一年会わないでいたことは大きい。ジャックはダニエルに失望し、ダニエルはジャックに失望してしまう。かつては互いの友情は永遠だと熱く語り合った仲だというのに、あれは何だったのか。ふたりの友情はこのまま滅びてしまうのだろうか。

(第3巻に続く)

 

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