こだいらぽんたの読書日記

古典多めの読書日記です。名作映画100選もあります。

「最大の教父」は「最大のとんでもない悪童」だった/アウグスティヌス著『告白Ⅰ』(山田晶訳/中公文庫)

アウグスティヌス著『告白Ⅰ』(山田晶訳/中公文庫)

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アウグスティヌスは、古代ローマカトリック教会の教義を確立するために力をつくした「最大の教父」といわれる。全3巻。かなり読み応えがあった。読書日記は1冊ずつアップする。山田晶氏のあとがきは何度読んでも心が震える。それも最後に書くつもりだ。


一分冊目には、「最大の教父」様の子供の頃の悪童ぶりが余すことなく書かれている。大丈夫なのだろうかとはらはらするような告白だ。
子供時代から、アウグスティヌスのやんちゃはたいしたものだった。

「遊び好きで、くだらない見せ物を見たがり、芝居のまねをして落ち着かず、数えきれないうそをつき、家庭教師、学校の先生、両親をだますので、みな私にはてこずっていました」(62ページ)

家のものを盗んで友達の玩具と交換したり、遊びではいかさま勝負をしたり、注意されると暴れたり。周囲も手が付けられない。
16歳になると、これに女遊びが加わる。浴場で性行為?をしているのを父親にも見られている。

「(私は)やみくもに突進し、醜行が同年輩の友人に劣るのを恥じたほどです。じっさい、私は、彼らが放蕩を誇り、醜ければ醜いほどますます自慢するのを聞いて、たんに行為にたいする情欲のみならず、賞讃による情欲にもかきたてられ、よろこんでそれをしたのでした」(78ページ)

どんなに悪いことをしたか仲間と自慢しあう。今も昔も変わらない。
アウグスティヌスは9年間マニ教に帰依した。そこから離れたのちも、アウグスティヌスカトリックの洗礼を受けることを躊躇している。その理由のひとつが「女を抱けなくなるのは嫌だ」からだ。古代はそれくらいしか楽しみがなかったのかもしれない。カトリックは禁欲的なイメージがあるが、元祖はこんな感じだ。
先にも書いた通り、19歳から28歳まで、アウグスティヌスマニ教徒だった。しかし、このマニ教が実は「傲慢で気の狂った人間たち、きわめて肉的でおしゃべりな人間たち」(114ページ)による宗教だったとアウグスティヌスは考えるようになる。実際、「告白」全3巻はマニ教に対する批判がかなりの部分を占めている。それにしても自分が一度は信じた宗教を「傲慢で気の狂った人間たち」の宗教だと言い切るとは、アウグスティヌスの激しい性格がうかがえる。


マニ教は『旧約聖書』を攻撃し、それを認めるカトリック教会をも非難していた。
「神が万物を創造したというなら、この世の『悪』を創造したのも神なのか?」
「人間が神の似姿として作られたというなら、神には髪だの爪だのがあるのか?」。
しかし、これはもっともな疑問ではないだろうか。

神が善を作ったのなら、悪を作ったのも神であるはずだ。そうでないとするなら、悪はどこからやってきたのだろうか。
また「人間が神の似姿として作られた」という言葉はどう解釈すべきなのだろうか。神様も人間みたいに髪やら爪やらが生えるのかね。
このようにカトリックを批判するマニ教徒たちに、アウグスティヌスが反論する。

(「告白Ⅱ」に続く)

 

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