ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』(山内義雄訳)
『チボー家の人々』の「一九一四年夏」シリーズは、1937年にノーベル文学賞が与えられた作品だ。これを読むと、民衆目線でとらえた第一次世界大戦前前夜の雰囲気がわかる。「オーストリアとセルビア?勝手に喧嘩してろ」と、まるで他人事のようにのんびり構えていた一般市民がとても多かったことがわかる。そして気が付いたときには、自分たちが巻き込まれているのだ。
1914年6月28日サラエボで、オーストリア次期皇帝フランツ・フェルディナントがセルビア人青年に暗殺された事件。この事件がなぜ、どのようにして人類史上初の世界大戦へとつながったのか?この悲惨な世界戦争はどうしても避けられなかったのだろうか?
そして、ジャックとアントワーヌの運命はどうなるのだろうか。
8.一九一四年夏Ⅰ
『チボー家の人々』第8巻のあらすじを紹介する。ジャックは24歳。アントワーヌは33歳だ。
ジャックはスイスのジュネーブで新聞社や雑誌社に寄稿することで生計をたてつつ、世界各国からやってきた社会主義者たちの集う「本部」に足しげく通っている。「本部」の中心人物はオーストリア出身のメネストレルだ。彼らは世界中に情報網を持っており、政治や社会の動向には敏感だ。「本部」は、彼らが革命についてさまざまな意見をぶつけ合うサロンのような場所だ。
そんなある日、「本部」にもたらされた「オーストリアの《政治的暗殺事件》」の一報に彼らは衝撃を受ける。「もしこのままにしておけば、二、三カ月たたないうちにおそらく全ヨーロッパは戦争になる」と戦々恐々だ。なぜこの事件がそれほど重大なのか?
これは、セルビアの後押しをするロシアの汎スラヴ主義とオーストリア・ハンガリー帝国の汎ゲルマン主義の対立なのだ。オーストリアがセルビアを攻撃すれば、ロシアが黙っていない。ロシアの参戦はドイツの動員につながり、そうなればフランスも参戦することになり・・・と、各国が律儀に同盟を守ることによって、ドミノ倒しのように戦火は世界中に広がるだろう。
キーマンはドイツだ。ドイツがオーストリアの後押しをしなければ、オーストリアは戦争に打って出ることはない。ドイツが味方をしてくれなければ、オーストリアに勝ち目はないからだ。
「世界中でゼネストをやるんだ!」と、ジャックたちは沸き立つ。労働者たちが団結してストを起こせば、戦争は避けられるはずだ。ところが革命家集団たちは一枚岩ではない。指導者のメネストレルが、必ずしも戦争に反対ではないからだ。彼は決して口に出さないが、革命を起こすには戦争や経済危機などの混乱が必要だと考えている。すべてを破壊しつくし、世界をまっさらな更地にリセットする必要があるというのがメネストレルの考えだ。メネストレルの恋人のアルフレダは「この人にはただ革命があるだけなんだ」と呆然とする。
メネストレルの指令を受け、ジャックは情報収集のためにパリへ行く。ついでに兄のアントワーヌに会っておこうと思い立ち、自分の生まれ育った家に帰るのだが、そこは「A・オスカール・チボー研究室」として生まれ変わっていた。アントワーヌは父親の遺産をふんだんに使い、自宅を「病院および小児病理学研究所」に改築して資金のない若い医者たちをサポートすると共に、研究室の助手として使っていたのだった。アントワーヌは精力的に日々の生活を楽しんでいた。戦争に巻き込まれることなどこれっぽっちも考えていない。一方、ジャックは、これっぽっちも戦争に対する危機感を抱いていない兄の姿に愕然としてしまう。
食事をしながら繰り広げられるふたりの論争は、この巻のハイライトだ。資本主義とはなにか。資本主義の何が問題なのか。ここはものすごく長いので、ジャックが挙げていた問題点をふたつだけあげておく。
1.あらゆる価値がカネでしか測れない世界の是非について。
以下はジャックの発言だ。
そこでは、すべての価値はみんなまがいものであり、人格の尊重なんてことはまったくかえりみられず、ただ利益だけが唯一の原動力であり、すべての人々が金持ちになるということだけを夢に描いている世界なんだ!(P249)
2.資本家は利益を資本として投じる。それは雪だるま式に膨れ上がっていく。かくして格差はどんどん広がっていく。これは大問題ではないだろうか。
もっともおそるべき不義は、つぎの事実、すなわち、金銭は、それを所有している者のために働くという点、しかも、金銭は、その所有者が指一本動かす必要もなしに、ひとりでに働くものという点に存するのだ!(P258)
ジャックは、父親の遺産を放棄している。チボー氏は莫大な財産を息子たちに残したであろうに、それをびた一文受け取る意思がないというから苛烈だ。(人の良いアントワーヌは、こっそりとジャックの分け前を管財人に管理してもらっているのだが)いったいこのカネはどこからやってきたのか?ましてや自分が汗水たらして得たわけではない財産だ。
ジャックによれば、革命によって労働者が政治的権力を握れば、労働者が基礎的条件を変える社会が実現するという。人間が人間を搾取するようなことがない社会。
しかし、アントワーヌはジャックに強烈な一撃を与える。
おれの知りたいと思うのは、その新しい社会を打ち立てるにあたっての問題だ。おれは結局むだぼね折りに終わるだろうと思っている。というわけは、再建にあたっては、つねに基礎的要素が存在する。そして、そうした本質的な要素には変わりがない。すなわち、人の本性がそれなのだ!(P268)
このことばに、ジャックは思わず絶句してしまうのだ。
たとえ理想的な社会を作り上げたとしても、人間の本性は変わらない。他人よりも得をしてやろうとか、見栄を張るところとか、他人よりも優位に立ちたいと思うところとか、こういう人間の本性は絶対になおらない。こんなどうしようもない人間が作り上げる理想的な社会なんて、やはりたかが知れているのではないか?
アントワーヌの考えははっきりしている。政治は政治の専門家に任せればいい。自分は医者として目の前の仕事を誠実にこなすことしかできないし、それをやるべきなのだ。これはこれで筋が通っている。
ジャックとアントワーヌは正反対の考え方だ。アントワーヌの地に足をつけた生き方は正しい。しかし、明日にでも戦争に巻き込まれるかもしれないというのっぴきならない状況の場合、少しでも戦争回避の方策を考えるべきではないだろうかというジャックの考え方も正しい。
さて、チボー兄弟が食事を済ませたころ、ひとりの女性がやってくる。フォンタナン家のあるじ、ジェロームが拳銃自殺をはかって意識不明の重体だというのだ。アントワーヌを呼びに来たのはジェンニーだった。思いがけず対峙することになったジャックとジェンニーは、互いに驚きの色を隠せない。
このあと、もともとお互い恋愛感情を抱いていた彼らの距離も、一気に縮まることになる。
(第9巻につづく)